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西行法師ゆかりの鴫立庵
大磯に鴫立庵という俳諧道場がある。鎌倉時代の有名な歌人・西行法師が、
「こころなき 身にもあわれは しられけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」という和歌をこの地で詠んだ。
江戸時代初期に、崇雪という俳人が、
西行を慕って大磯・鴫立沢のほとりに草庵を建て、その後これが鴫立庵と呼ばれた。
本ホームページのタイトルにもなっている「湘南」がどの範囲の地域かは、いろいろ
議論があるが、崇雪は鴫立庵の脇に「著盡湘南清絶地」という標柱(1664年建立)を建てたことから、この付近を
湘南と呼ぶ様になったとの説もある。
庵はなかなか瀟洒な作りで、風情にあふれている。
歴代俳諧重鎮が江戸時代より現在に到るまで、この庵に在住してここを守ってきている。
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雪月花の風情を醸す鴫立庵
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虎御前と曽我兄弟の敵討ち
鴫立庵に、法虎堂という小さいお堂がある。虎御前の像が祀ってある。
虎御前は、曽我兄弟仇討ちで有名な曽我の五郎、十郎のうち、兄・十郎が愛した
大磯の宿の舞姫であった。虎御前は大磯のみならず、広く鎌倉まで聞こえた舞の名手であった。
曽我十郎佑成と弟の五郎時到は、1193年5月28日、源頼朝が主催した富士の巻狩の夜、
兄弟の親・河津佑通を殺した仇である、工藤佑経を討ち果たした。
十郎は、この夜討ちの際、討ち死にし、弟・五郎も捕らえられた後、打ち首となった。
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鴫立庵の庭に建つ法虎堂
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仇討ちは実はクーデターだった?
この仇討ちは、多くの謎を残しており、五郎は佑経を殺したあと、
頼朝の寝所に討ち入り、側近に阻止されている。この事件の後、
頼朝の弟、源範頼は、些細な理由で失脚し、伊豆に送られる途中で殺され、また
相模の有力な部族の棟梁、数名が、蟄居謹慎状態になるなどの事件が起こっている。
曽我兄弟は、頼朝旗揚げのとき、これに敵対して滅ぼされた伊豆の豪族・伊東氏の直系であることなどから、
この仇討ちは鎌倉幕府に不満を持つ、一部の武士団の
クーデターではなかったかとの推測もされている。
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宿場の風情を残す付近の道路(化粧坂)
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虎御前は、その後、兄弟の死を悼み、尼となって長野・善光寺に入り、二人を供養し、
さらに後年は再び大磯に庵をつくって二人の菩提を弔ったと伝えられている。
鴫立庵のそばの延台寺は、その庵の跡と言われ、虎御石などの曽我兄弟を語る品々が保存されている。
虎御石は、虎御前が生まれた時、枕元に石があり、この石は虎御前の成長と共に
少しずつ大きくなったことや、曽我兄弟が仇討ちを計画している
ことを恐れた工藤佑経が、十郎へ刺客を放ったが、この虎御石が
身代わりになり、刃を受け止めたので、十郎は逃れることができたことなどが
伝えられている。
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虎御石などが奉納されている延台寺
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