中 国 の 旅 2日目(旅順)

7月14日中国の東北地方 世界遺産と日清・日露戦争の戦地を訪ね、
大連・旅順・203高地・北京・故宮・万里の長城・八達嶺・瀋陽故宮・北陵・を歩きました。
食事<天天漁港の海鮮料理・大連餃子・北京ダック・老辺餃子>
現在旅順は大連市に編入され大連から車で約30分の所にある。
比較的町は小さく大きな建物は少ない、人口約21万人506平方Kの土地で軍港が
有るため市の中心部や軍の施設付近は立ち入りが禁止されている。
歴史的には寂しい漁村であったが1878年、清の時代北洋艦隊の根拠地となり町ができる。
日清戦争中1895年に日本に占領され大虐殺が行われた、その後ロシアの東洋艦隊の根拠地となる。
日露戦争は市郊外の丘陵203高地での激戦の末、日本軍が莫大な損害の後に1905年旅順を占領した。
203高地は5日間で1万5千人ほどの兵力が1千まで減ったと激戦が伺える。
現在は観光地として解放され日本から多くの人が訪れる
夕刻 大連空港より北京に移動 長い一日を過ごした。

7月14日 中山大飯店(ホテル)の朝食はバイキング形式
最上階の回転展望レストランで大連の市内を見ながら食事
ゆっくりだが気になるスピード
食事の内容は一般的なバイキング
出発は9:30
10:10 203高地到着 最高点までは徒歩10分・・・
    人力の乗り物は往復200元 約3,400円
    私達は歩いて登る。
    道は舗装され歩きやすい。
    1元は約17円です。(円安のため)
10:20 最高地点到着 旅順港が見渡せ激戦地の面影はない
    日本からの観光客が大多数・・・
    この旅順港は今も重要な軍港として観光客は行けない。
203高地、砲弾の形をした慰霊塔が山頂にある。
名前の由来は海抜203mから付いたが?
実際の海抜は205mあり・・・戦争で山頂が砲撃のすさまじさで
2mも低くなった。
私の祖父から日露戦争の話を聞いた(40数年前)
ロシアのトーチカを攻撃するため大砲が真上を向いていた?
これは山の上にある敵陣まで射程距離を縮める為か??
トーチカとはコンクリートなどで補強した背の低い建物で
銃座や砲台を備え軍事上重要な建造物だった。
山頂の隅に機関砲・重器が展示されている。
山の端を見ると今も塹壕が残っている。
塹壕とは兵士が移動したり戦うために深さ1m程度の溝を掘り
銃弾から逃れた、この溝を言う。
少し下った所には当事の大砲を模造し物が展示されている。
大砲の弾は200kgも有ったと言う。
射程距離は数キロもあり軍港の遙か彼方まで制圧していた。
レプリカである。
10:45 人力のカゴを横目に下山する。
    わずか10分でも利用客がいる。
    前後二人で持つのだが大変重労働です。
11:05 旅順の市内では昔のミゼット軽4輪がまだ走っている。
    タクシーのようだか定かではない。
    大連や旅順はこの軽自動車が走っていた。
11:10 日露戦争ロシアと日本の調印をした場所
    乃木将軍が写真の中央に載っている。
    当時のテーブル
    その後野戦病院になりこのテーブルは手術用に
    使われた。
    昼食は旅順の郷土料理(中華)
12:45 食後は路面電車でしばし楽しむ
    料金は1元 17円何処までも同じ非常に安い。
13:00 大連自然博物館 恐竜の化石が展示されている。
    その他古い文化財的な物が展示・・・・・

    この中で別室の展示場で博物館維持のため
    市民から寄付された壺や宝石を紹介され
    販売もすると言う・・・・展示ケースと展示物で
    送料込み@150万??
    高い方は数百万の物も有った、一般公開はしていない。
大連自然博物館の恐竜の化石
14:00 大連緑山展望台より市内を望む
    市内は高層のビルダが少し離れると緑地が広がる。
17:30 市内に戻り 夕食は大連餃子
    食後 大連空港より空路 北京に向かう
19:40〜21:05 北京着 北京泊 宿泊は金都飯店(ホテル)
    北京は首都だが交通マナーが悪く

大 連1日目 北 京3日目