![]() 広 重 数人の客が泊まり、夕餉の支度中の 木賃宿。軒先には御嶽山の御神灯。 |
古くは願興寺の門前町として栄えた。美濃路で最初に朱印状を 受けたのは、美濃の平坦部と山間部との境に位置する立地条 件によった。大井宿槙ケ根追分から分岐した名古屋への下 街道がその後整備され、平坦で本街道のような規制もないこ とから、商人の荷はこれを通った。このため大湫、細久手、御 嶽、伏見宿は経営が圧迫され、尾張藩に訴え一時『商人荷の 下街道通行禁止令』が出されたが、時間とともに元の状態に 戻り、下街道との間で再々争いが生じた。 町並み4町56間は殆どが新しくなっている。 |
49・御嶽宿(天保十四年) 日本橋から九十五里三十町八間 現代の宿駅 名鉄広見線御嵩駅 人口 600人 家数 66軒 旅籠 28軒 本陣 1軒 脇本陣 1軒 |

![]() 一呑清水 |
左に唄清水 今も旅人の喉を潤した清水が湧くが『生水で飲まないで下さい』表示にがっくり。また幽玄な竹林を抜けると県道に出る。左に一呑清水 和宮様もこの清水を気にいられた。だがこの水も『生水で飲まないで下さい』j十本木立場跡碑を過ぎ道標のある左の細い道へ。一軒ある民家の前に十本木一里塚跡 謡坂とも呼ばれた。最近整備され新しい碑が建てられている。曲がると右に古い建物がある。これが広重「木曽海道(街道でない)六十九次」御嶽宿モデル地の木賃宿跡。 | ![]() 広重御嶽宿モデル地 |
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![]() 耳神社 |
下ると謡坂石畳 この急な坂道を自らを元気付けるため、歌を謡いながら歩いたことからこの名が付いた。坂の途中から右に行くとキリシタン遺跡 この地の墓地からキリシタン遺物が発見され、さらにこの付近からも多くの遺物が見つかったことから多くの隠れキリシタンが居たことがわかった。 石畳が終わると県道に出る。これを左に。やがて右に耳神社 平癒の願をかけ、供えられた錐を1本借りて耳に当てる。全快したらその人の歳の数だけ錐を紐で編んだすだれのようにしてお供えした。急な狭い石段を上がると、すだれ状の錐が沢山あった。 次の標識から右へ、その次のY字路は左へ。寒念仏供養塔を過ぎて山道を進む。急な下りのカーブするところに浮世絵を入れた説明板牛の鼻欠け坂 「牛坊(うしぼう)牛坊どこで鼻かかいた 西洞の坂で かかいた」荷物を背負った牛の鼻がすれて欠けてしまうほどの急な坂道。西からの旅人はここから山間部の登り、東からはこの先で平坦な道となる。御殿場からこのような親切な説明板が随所にあることは実に嬉しく楽しい。 |
![]() 牛の鼻欠け坂説明板 |
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![]() 西洞地区 |
草一杯の道を下ると一面たんぼ西洞(さいと)地区。ここはT字路、どちらに進むか?<和泉式部→>とある標識を矢印の方向へ。その先も標識通りに進む。左に国道21号が見えてくる。なおも標識に従って進むと国道に出る。これを右に。10時26分。 すぐ右に和泉式部廟所 恋多き平安期女流歌人。心おもむくままに東山道を辿り、この御嶽辺りで病になり鬼岩温泉で湯治するも寛仁3年(1019)この地で没した。との説明書。 |
![]() 和泉式部廟所 |
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| ここから約1km強国道を進む(右GSを過ぎる)と左に分岐する道を取る。目印は左角の「左御嶽宿 右細久手宿」の新しい道標。進むと右に直角に曲がる。ここが東の枡形。 | ||||

![]() 元商家・竹屋 |
水神社の向かい側に高札場があった。宿場の中心部は殆ど新しい家。郵便局の手前の竹屋は昔の商家。無料で内部が見学できる。一部土間などは改造されているが、台所には大きな竈や井戸が残る。少し先に本陣 明治初めに建替えられたもの。野呂家が勤め、建坪181坪には合計24部屋があった。 今は何も残っていないが脇本陣は本陣の4軒手前、問屋場は2軒先の西側にあった。 本陣の隣は中山道みたけ館 1階は図書館、2階に中山道関係が展示されている。 |
![]() 本陣跡 |
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| 一部残る古い建物 | 宿場内 | みたけ館・木賃宿 | 同・茶店 | 同・街道風景 |
![]() 願興寺 |
進むと正面道路反対側に名鉄御嵩駅。右角が願興寺 可児大寺、蟹薬師と呼ばれ、伝教大師の手による薬師如来が古くから信仰を集めた。創建は弘仁6年(815)、兵火で焼けたがそのつど再建された。現在の本堂は農民の寄付により天正9年(1581)より再建されたもの。 右折し、右角原写真館のところで今度は左折する。住宅地の道を200m進み、十字路を右に進み、国道を横断し坂道を少し上がる。御嵩小学校の上に愚渓寺 ここの石庭が見もの。臨済宗妙心寺高僧・義天玄承禅師の作「臥竜石庭」。現在は白砂に松と三つの石が配置されている。昔は七つあり、六つは位置が決まっており、残り一つを代々の住職の工夫で配置されたとのこと。京都龍安寺の枯山水の石庭は、この「臥竜石庭」がモデルでやはり義天玄承禅師の手によるもの。 筆者以外に訪れる人はなく、十二分に禅の世界の一部を鑑賞できた。満足、満足、大満足。中山道を歩く人は絶対寄り道すべし。街道から片道10分。 |
![]() 臥竜石庭 |
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![]() 同 上 |
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![]() 鬼の首塚 |
元の道に戻り。公民館を過ぎた十字路、左角は松月堂。ここで右折し<中>交差点で国道に合流し、これを左へ。右に鬼の首塚 鎌倉時代この辺りの悪党鬼の太郎を退治することにしたが行方が掴めず。蟹薬師に願をかけると、祭礼の日に女装して現れるとのお告げ通りとなり、首を切った。検分のため京都に運ぶ途中、この地で急に重くなり進めなく、また首桶の縄が切れ首が転がり出た。首も動かすことが出来ず、やむなくこの地に埋めた。 <大庭>交差点の先から右へ国道を一旦迂回し<顔戸>で合流し進む。 |
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中山道膝比べ![]() |
細久手![]() |
伏見 |