おれはくだらない撃ち合いで死んだ。おれより先に逝った者もいる。のっけからジム・トンプスンのようなのりではじまる本書は、
本編を彼らに捧げる。
『人生の答』とは何だろうか。そもそも人生に「答」などというものがあるのだろうか。「ある」と言える人にはあるし、「ない」と言う人にはない−−と答えるしかない。なぜなら、『人生の答』とは、ただ待つ人に与えられるものではなく、ひたすら作ろうとする人が生み出すものだからだ。
私の中には二つの異質な時間が流れていたのだ。一つは、私だけが個人的に直面している現実と結びついた「一人称的な時間」。そして、もう一つは、主観的な感覚や意識に関係なく、誰の上にも共通に流れいる客観性を持った「三人称的な時間」である。これは京都大学名誉教授の精神医学者・木村敏氏が『時間と自己』で使われた術語だそうだ。深い洞察は続く。
人間が生きるうえで決定的に重要なのは、「一人称的な時間」の中で、「生きられた時間」を持てたかどうかということだった。次男は苦悩する日々の中で、時折、「僕には『生きられた時間』がなかったんだ」と語っていた。「生きられる時間」とは、哲学者ウジェーヌ・ミンコフスキーが提示した概念だ。次男がミンコフスキーについて知っていたかどうかはわからないが、何と正確に自分を表現していたことかと、私は胸が痛んでならなかった。
彼が語っていたときには、私は心を病み社会に出て行けない辛さをそういう言葉で表現しているのだろうといった理解の仕方しかしていなかった。だが、情けないことに、彼が死んで、自分が離人症的な精神状態を経験してはじめて、「生きられた時間」が持てないというのは、ずっと深い実存的な苦しみであったのだと、ようやく実感のレベルで理解できるようになったのだった。
「一人称」の死とは、自分自身の死だ。死を前にいかに生きるか、どのような死の迎え方をしたいのか、何を遺すのか、が問われる死だ。
「二人称」の死とは、あなたの死、つまり家族や恋人や親友・戦友の死だ。

ヘミングウェイの終わったところから継続させようとした「鍛錬」(ディシプリン)の文学なのだ。ヘミングウェイが大学に行かずに、戦争に行ったように、バックは大学を中退して空に行った。バックの場合は、空を飛ぶための鍛錬がきびしければきびしいほど、孤立して、ときには傲慢にさえ見える態度をとっている。
いまわたしと、黄色い機首のメッサーシュミット109との間にある距離は、時間という名の小さな蛇行だけなのだ。カレーの砂浜を洗う波。チェス盤のようなヨーロッパを吹きぬける風の静まり、時計の針の回転。大気もおなじ、海もおなじ、時計の針もおなじ、時の川ももみなおなじなのだ。
だが、メッサーシュミットはいまはない。あのすばらしいスピットファイアも。今夜、わたしの機が川に沿ってではなく、その曲がりくねった川を越えて飛んだとしても、世界の様相は今夜とまったくおなじだろう。そしてまた、このおなじ大気のなかに、かっての大気層のなかに、ブルゲ、ラテン、あの孤高の、ライアンが、西から、ル・ブルジエ空港のサーチライトのなかにやってくる。また、時という川をさかのぼっていけば、ニューポート、プファルツ、フォッカー、ソップウイズが、さらに、フォルマンの複葉機、ブレリオの単葉機、ライト兄弟のフライヤー号、サントス・デュモンの気球モンゴルフィエの熱気球が、鷹たちが空を飛びかっている。かつての日々も人びとは地上から空を見上げたのだ。今夜とちょうどおなじ空の彼方を。
わたしは人生の色彩と味わいを深くたのしむ。死は、行く手に待つ興味あるものだが、わたしはいそいで死に出会いたいとも、わざわざ自分からもとめたいとも思わない。というよりも死のほうにわたしを発見させてやりたい。それなら、なぜ横転飛行をしたり、高速度で低空飛行をしたりするのかと、自分に問いただす。たのしいからさ、という答えがかえってくる。ありていにいえば自己満足といってもいいだろう。おもしろいから。そうなのだ。
パイロットなら誰ひとりこれを否定しないだろう。だがわたしは、ことばをおぼえたばかりの子どものように、「なぜおもしろいんだ」と聞いてみる。見せびらかしたいからさ。アハハ。そんな声が脳裡をかすめ、わたしは気づかないふりをするが、もうおそい。じゃどうして見せびらかしたいんだ?
ここでスポットライトをいっせいにあびたように、答がくっきりと浮かびあがる。それはわたしが自由だからだ。おれの魂は、82キロの肉体に閉じこめられてはいないからさ。
夜のサンダーストリークのエンジンの秘密の回転炉は、多くの人にはまったく見る機会のない光景で、ほとんど神々しい眺めといってもいい。わたしはそれを記憶しておき、地上にいて空にあまり美しいものがない夜など、思い出すのだ。
わたしはただ一人の人間だ。今夜、わたしの星の下で、わたしの銀河を見あげている。おそらくただ一人の人間だ。この小さな地球から銀河を見あげてきた幾世紀もの人間の歴史が、一瞬にして、わたしの内部に結晶してゆく。
とにかくアメリカでは陰謀が多い。アメリカは、建国以来、陰謀だらけであったともいう。さまざまな人種のアメリカは、いつもなにかの<敵>をつくり、そのイメージに対してまとまり、アイデンティティを作ってきたのだそうだ。