




大学南校貢進生時代(明治3年)後列左が伊澤修二、刀を差している。
筑波大学附属盲学校の校長室に飾られている写真(1890年6月〜9月 東京盲唖学校校長就任)。
留学時代の伊澤修二
資料は澤野立次郎先生よりいただきました。
明治31(1898)年、グラハムベルを神奈川県酒匂の別荘に迎えたとき。右から伊澤修二、ベル夫人、ベルの娘、グラハム・ベル、伊澤夫人千世。
ベルはこの年聾教育について日本各地で講演を行った。
今日お昼休みに、自転車で雑司ヶ谷霊園に行った。
先日澤野先生から芸大同声会が伊澤修二の顕彰碑をお墓の敷地に建てたというお話を伺っていたので、見てみたくなったのである。
私の勤める筑波大学附属盲学校からは歩いても10分足らずの所にお墓があることを知らなかったのはちょっと恥ずかしい。
管理所で案内図をいただき、それを見ながら探した。
立派なお墓の横に、またまた立派な顕彰碑が建てられていた。伊澤修二の業績が大変簡潔にまとめられていて、何も知らない私は思わずウーンと唸ってしまった。
伊澤は電話を発明したグラハムベルがボストン大学で音声生理学の教授だった時の生徒だったようだ。
ベルは母と妻が聴覚障害者であったために、耳の不自由な人にも音の波動を見せようというところから始まって遂に電話を発明したというのだ。(素敵ですね。)
その影響で伊澤も聴覚障害研究に打ち込み、私の勤める学校の前身である東京盲亜学校の校長(1890年6月〜9月)もつとめたようである。
ベルから教わってきたVisible Speech(視覚を基礎とした発音指導法)を教育現場に導入した。
そういえば、ベルはヘレンケラーにサリバンを引き合わせた人だそうだ。(平成15年2月25日の日記より)