入院初日


初めての受診は昭和61年(1986)6月

 胸髄部硬膜内に腫瘍と思われるものがある。これが脊髄神経に

影響を及ぼし、足に障害が出ている。

摘出すれば障害はなくなるだろうという診断結果だった。

 即、入院の手続きをし、手術を受けることにした。

交通事故や労災などの重篤急患が多く、

部屋の空くのを待ことになった。


なかなか連絡がない。

緊急を要する患者が多いのだろうか。

 二カ月後、8月の初めに連絡が入った。

8月10日(日) 蒸し暑い日だった。

妻と義姉(妻の姉)を乗せた車は福岡の自宅より一時間程で

総合せき損センター玄関前に着いた。

 これが自分の足でブレーキ、アクセルを操作して運転する

最後の日となった。


 看護婦の案内で病室に着いた。

 右足が少し絡む程度の障害であるが、病室に入ると緊張が

解けたのか、それ以上に絡むように感じられた。

今日は日曜日、正式な入院手続きは明日になった。

妻は敷地内に設置された付き添い者用の厚生棟に

泊まることになっている

脊髄損傷で重度の患者が多く、このような配慮がなされている

このような脊髄専門の病院は国内に仙台、そしてここ飯塚の

二ヵ所しかないということだ

普通の病院では6人部屋と思われる広さに4台のベッドが

置かれていた

ほとんどの患者が車いすを必要とする障害の重い患者、

ベッドへの乗り移りがスムーズにできるように

ゆったりとしたスペースが取ってあるのである。


8月11日(月) 担当医が決まった

香月 正昭 医師

私より3、4歳ほど若い先生だ。

背は180cmを少し超え、ガッチリした体型、

スポーツマンタイプ

そして、私とかわらぬ男前だ。

声も大きく、はっきりとズバリ物言う、竹を割ったような

俗に「江戸っ子」気質、当地では川筋気質とでも。

外来では佐々木部長から診察を受け、手術は部長と香月先生の

コンビで行われる予定だ。


手術はお盆過ぎに決まった。

入院日・退院日は覚えているが手術日などの明確な日付が

記述できないのは帰宅後、メモを紛失してしまったからだ。

思い出すままに闘病生活を記述していくので前後が

入れ替わることも






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検 査


2日目。

妻は手術日に来る予定で、入院手続きを終えて帰宅した。

検査開始。

手術をする前準備として、様々な検査が行なわれた。

血液検査は勿論、輸血用に400ccを採血。

これは自分の血液を使うことで、他人の血液によるいろんな

感染を防ぐことができる。

一時を争うような緊急を要しない手術には現在、

この方法がとられている。

麻酔科によるアレルギーや既往症の問診、

そして、脊髄液の採取。

これは16歳の時に一度、経験しているのでどのような

処置をするのかは分かっていた

しかし、当時の痛さを記憶しているので、耐えられるかという

恐怖感があった。

身体を海老のように曲げ、突き出た腰椎部に針先が

「ブスッ、ズブ、ズブ」 と

刺さって行くのがよくわかる

しかし、先生の技術がよいのか、痛みはほとんどなかった。

針先が神経に達した時、足先が 「ピクン」 と動いた程度だった。

麻酔が効いているのか?

そういえば、採取する前に注射を打った。

これが痛み止めだったようだ。

生化学、血清、血液、病理、生理学的検査等全てが終わり、

準備は完了した。

その日を待つばかりとなった。









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総合せき損センター


総合せき損センターは福岡県飯塚市の西北部、

国道201号線沿いの樹々に

囲まれた丘陵地にあり、重度身体障害者の医療施設として

最適な環境に恵まれている

労働災害や交通事故による外傷性脊髄損傷者や脊椎、脊髄に伴う

疾病患者の早期収容・専門治療・早期社会復帰の実現が、

このセンターに課せられた役割となっている。

高度の医療水準とこれを維持する優秀な専門スタッフや

最新の医療機器を備え、

これまでとは異なる視点に立ったシステムの導入、施設・設備の

配慮がなされている

リハビリテーション工学面からの支援を行なう医用工学研究部門や

職業的自立促進を支援する職業リハビリテーション部門が病院内に

併設され、治療と機能回復のための医学的リハビリテーションと

密接な連携を保ち障害を持つ者の早期社会復帰を目的として

設立されている。

労働省の外郭団体、労働福祉事業団が昭和51年11月に着工し、

昭和54年3月に竣工、同年6月に診療開始。








案内図

案内図をクリックするとリンクします。
〒820-0053 福岡県飯塚市伊岐須550−4
п@0948-24-7500









手 術


お盆が過ぎ、そして週がかわった。

手術当日


手術は午後1時からだ。妻は朝早く家を出たのだろう、

午前8時過ぎには来ていた。


昨日、頭をつるつるに剃刀で剃られた。

回りの者は「坊さん」と囃したてた。私もそれに会わせ、
 
図に乗って合掌のポーズ。

鏡を覗くと

自分でもビックリするほど、頭の形も良く

袈裟を着ければ本当の「坊さん」だ。


両親も到着。

9時、手術用のライトブルーの病衣に着替えた


ストレッチャー(寝台車)で看護婦が迎えにきた

いよいよだ。

時刻は10時半を少し過ぎていた。

その間、両親や妻とは一言の会話もなかった。


まず、肩に筋肉注射をされた。しばらくすると眠気がしてきた。

 腕に点滴、坊主頭に手術用帽子をかぶり

ストレッチャー(寝台車)に移された。


 部屋の仲間に「行ってきます」と気持ちを落ち着かせる意味と

自分を鼓舞するように元気よく軍隊調の敬礼の真似をしたが

内心は不安でたまらなかった。

 女房が涙を浮かべ、心配そうに

 「がんばってね・・・」 優しく言ってくれた。

 両親に視線を向けるとうなずくように首を縦に振って無言・・!

 ストレッチャーに乗った私は足を先にして

手術室へ向かった。

 運ばれる途中は廊下の天井と蛍光灯の明りなどが

次々と過ぎ去さって行くの見えるだけである。

 いよいよ、手術室へ入る。

これから先は手術部の看護婦にバトンタッチ。

 今までの看護婦とは違った格好である。

 頭はターバン状に巻いた帽子、顔の半分以上が隠れるような

大きなマスク、

動き易いようにズボン、その上に手術着といったように。

 最近、テレビドラマで病院のシーンがあるので分かると思うのだが。
 
手術台に私を乗せたストレッチャーを横付けし移される。

 天井には手術用の大きな円盤状の照明器具に

8、9個のスポットライトの様な明るい電球が付いているのが

見える。
 
両腕を左右に開き大の字にされ、

心電図、血圧計などの電極が次々にすばやく貼り付けられていく。

 麻酔科の医師が

 「新開さん」と言いながらマスクを口元へ持って来た。

 「深呼吸をして、楽に・・」

 と言われるままに、

深呼吸を数回したところで急にエーテルの臭いが

マスクからしてきた。

苦しくなってそこで意識はなくなった。
 

  






I C U


目が覚めた。無事、終わったようだ。

周囲が騒がしい。医療器具を処理する甲高い金属製の音、

“ピッ・ピッピッ・ピッ”

心電図、点滴などを管理する電子医療器具の音

頭から手術用の帽子、顔はマスク。それらに覆われ、目だけが

異様に目立ち、真剣な眼差しで動き回る看護婦や医師たち。

ここはICU(集中治療室 an intensive care unit《略 ICU》)

だった。

「気が付いたね」と看護婦。

声を出そうとするが口には酸素吸入器がセットされ、先端は

喉まで達しているようだ。

頭も固定されて動かせない。

胸髄部から頚髄部を切開し、病巣の腫瘍を切除。

早くても抜糸までの一週間、この状態で天井を見る状態を続けて

いなければならない。

と、

主治医から術前に聞いていた。

両腕には点滴針が。

背中(肩)には「ドレン」抜きのため、管が刺し込まれたまま、

そこから、髄液や体液が流れ出ているようだ。

この髄液や体液の量で経過の良し悪しを判断できるものらしい

「問題ない、適量だ」と医師の診断。

まだ、麻酔が効いているのだろう。痛みは感じない。

胸から首の後部にかけてを切開、手術しているので

ベッドにうつ伏せに寝かせらているものと思っていたが

意外にも、上向きに寝かされている。

「まだ眠い。うと、うと、と寝入った」


どのくらい時間が過ぎたのだろう。

ICUには外からの光は入ってない。

窓はなく、遮蔽されているのだろうか?

いや、カーテンが吊ってあるので窓はある。と思った

日が暮れたのか?


蛍光灯の明かりが眩しい。

徐々に、麻酔が切れて意識もハッキリしてきた。

それに従い、痛みも感じるよになった。

左肩が特に痛い、なぜだろう。

看護婦が来て

「ようがんばったたね。大手術だったよ」

「ここに(ICU)に来るまで、12時間は経っているもんね!」

「何時?」

「10時よ」

午後10時を過ぎていたのだ。

両親、女房が入ってきた。


頭には帽子・身体全体を覆う割烹着のようなものを着用している。

これらを身に着けなければ入室できない。

術後は感染症や雑菌に弱くなっているのでこれらの侵入を

防ぐためだった。






順調に回復、ナースセンターが見える個室に移された。



脊柱図

背骨(脊柱)参考図

脊髄(椎)部位の略記法

  頸:C=Cervical(サービカル)
  胸:T=Thoracic(スォーラシク)
  腰:L=Lumbar(ランバー)
  仙:S=Sacral(セイクラル)
  馬尾神経:Co=Coccyx
       (コクシクス・尾てい骨)
  






神経図
神経図




骨格図

骨格














M R I


















       ここは腰骨を
          削り、その骨で
            脊柱を支 →
            えた手術痕です。
















左側面
頚椎5番(C5)・6番(C6)・7番(C7)が潰れています。
写真左上の線が入った部分をスライスして撮影しています
手術当時(昭和61年)にはこんなに鮮明な脊髄内部は写し
出されなかった。ピントが合ってない写真のようでした。

今思えば、当時この医療機器(MRI)があったなら
脊髄空洞症の発見も早かったでしょう。

車いす常用の身にならなかったかも・・・・


MRI撮影の脊髄液

MRI撮影の脊髄神経


医療機器もパソコン同様、日に日に進化しています。

MRIとは?




脊髄は脳脊髄液と硬膜にガードされています
外から硬膜・脳脊髄液・脊髄








せき髄損傷による併発疾病



せき髄損傷者は、せき髄の損傷という重篤な障害が長期間にわたって継続するため、種々の疾病を併発する。また、臨床医学の進歩で、せき髄損傷者の死亡率は低下するとともに、せき髄損傷者の増加、高齢化が進んでいる。髄損傷者のなかには、様々の疾病が発生し、これらの疾病が、原疾患であるせき髄損傷と因果関係があるか否かについての判断に苦慮する状況にある。このため、せき髄損傷で長期にわたり療養を継続している者に発生した疾病等と原疾患であるせき髄損傷との因果関係を明確にする必要がある。この因果関係を明確にするため「労災医療専門家会議」で医学専門的な検討が行われた。これに基づき、せき髄損傷に併発した疾病は下記のとおりです。
照会先 労働基準局労災補償部補償課 電話03(5253)1111(代表)内線5572



(1) せき髄損傷と併発疾病との間に因果関係が認められるもの
  せき髄損傷の慢性期に発症した併発疾病のうち、次に掲げる併発
  疾病は、一般に医学経験則上因果関係が認められるが、個々の事
  案の判断に当たっては、別表に掲げる損傷部位、損傷程度、症状
  経過、病像等を確認した上、原疾患であるせき髄損傷に起因する
  ものとして、労働基準法施行規則別表第1の2第1号又は労働者
  災害補償保険法施行規則第18条の4に該当する疾病として取り
  扱うこととする。
 @ 褥瘡
 A 皮膚がん(褥瘡がん)
 B 起立性低血圧
 C 運動障害域の神経病性関節症
 D 運動障害域の痙縮亢進
 E 麻痺域疼痛(感覚脱失性疼痛)
 F 自律神経過反射
 G 体温調節障害
 H 肩手症候群
 I 関節周囲異所性骨化(麻痺域)
 J 関節拘縮(麻痺域)
 K せき柱の変形
 L 外傷後せき髄空洞症
 M 人工呼吸中の気管内チューブによる気管粘膜の潰瘍又は声門、
   気管狭窄
 N 肺感染症(含肺炎)
 O 無気肺
 P 尿路、性器感染症(膀胱炎、尿道炎、尿管炎、前立腺炎、
   副睾丸炎)
 Q 尿路結石症
 R 腎盂腎炎、菌血症
 S 膿腎症
 21 水腎症、水尿管症
 22 腎不全
 23 膀胱がん
 24 感染症(骨髄炎、化膿性関節炎、敗血症)
 25 血栓性静脈炎

(2)  せき髄損傷と併発疾病との間に因果関係が不明確なもの
  せき髄損傷の慢性期に発症した併発疾病のうち、次に掲げる併発
  疾病は、一般的には医学経験則上因果関係が明らかでないため、
  個々の事案ごとに検討し、因果関係を判断すべきものである。
 @ 睡眠時無呼吸
 A 胃・十二指腸潰瘍
 B 上部消化管出血

(3)  せき髄損傷と併発疾病との間に因果関係が認められないもの
  せき髄損傷の慢性期に発症した併発疾病のうち、次に掲げる併発
  疾病は、一般的には医学経験則上因果関係が認められないが、個
  々の事案ごとに検討し、因果関係を判断すべきものである。
 @ 頑癬、白癬
 A 高血圧、動脈硬化症
 B 糖代謝異常、糖尿病
 C 抗利尿ホルモン分泌異常症候群
 D 気管支喘息
 E 胃がん等上部消化管悪性新生物
 F 膵炎
 G 尿崩症