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'03.02.21 |
◎ 日本最古の学校 「足利学校」 ◎
学 校 様
足利学校の創建については平安時代の小野篁(おののたかむら)、鎌倉時代
の足利義兼説があります。歴史的に明確になるのは、室町時代に上杉憲実が
再建、中興してからです。フランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にし
て、最も有名な阪東の大学」とローマに報告しています。この時期には、三
千人の学徒が諸国から集まっていました。
足利の人々は「学校様」と云って親しんでいました。足利学校に通ずる石畳
の路は、「学校様通り」です。
孔 子 の 石 像
学校の最初の門「入徳門」を入ると、左手に孔子の大きな石像が立っていま
す。湯島の聖堂の孔子像にひけを取らない大きさです。
足利学校は孔子の教え、儒教を中心に易学、軍学を教育していました。
学 校 門
足利学校には三つの門があります。最初の門は「入徳門」で寛文八年に創建
れました。第二の門がこの「学校門」です。「入徳門」と同じ(1668)
に建てられました。この門は足利学校のシンボルとして知られています。
第三の門は「杏壇門」で大成殿の入口です。
大 成 殿 の 門
孔子廟(大成殿)の入口の杏壇門です。他の門と同じ寛文八年に建てられま
したが、明治二十五年の足利の大火で屋根と扉が焼け、五年後に再建されて
います。杏壇とは、孔子が弟子達を教えたところに、杏の木が植えられてい
たことに由来しています。
大 政 殿(孔子廟)
寛文八年に徳川四代将軍綱吉によって造営されました。中国明朝の聖廟を模
した建物です。湯島聖堂、岡山備前の閑谷学校にも孔子廟があります。
聖廟の左に有名な「不断梅」があるのですが、今日は工事で他に移植されて
見ることが出来ませんでした。名前の由来は、この樹齢百年をこえる梅の木
には、実がなるのですが熟しません。黒くなった梅の実は冬になっても枝に
残っています。常に実が絶えないことから、不断梅と呼ばれています。
孔 子 の 像
大成殿の内部です。正面には孔子の像が安置されています。右には創設者と
伝えられる小野篁の像があります。
方 丈 と 庫 裏
方丈は六部屋からなり、学生の講義や学校行事、来客のための座敷として使
われました。庫裏は竈のある土間、板敷きの台所、四部屋の畳敷きの食堂が
あり、日常の生活空間でした。書院は歴代の校長(おお)の書斎で接客や学
生の個人教授などに使われました。建物の屋根は方丈と庫裏が茅葺、書院が
板葺、玄関が本瓦葺です。書院からは北庭園越しに孔子廟が望めます。
方 丈 の 玄 関
方丈と庫裏の間に玄関と脇玄関があります。脇玄関の正面に、黒檀で出来た
屏風が展示されていました。
方 丈 の 内 部
畳敷きの大広間の正面には、須弥壇、脇仏壇のある仏殿、徳川将軍家代々の
位牌を安置する尊牌室があります。右側には一段高い上の間があります。
衆 寮
学生が書物を書き写したり、生活した建物が復元されています。
室町時代の最盛期には、三千人の学生がいたと伝えられており、広大な敷地
があったのでしょう。
遺 蹟 図 書 館
新しい学制が敷かれた明治5年に足利学校は廃校になりました。その後、明
治36年にこの遺蹟図書館が開設され、書物等を継承して現在に至っていま
す。現在の建物は、大正4年に建てられたものです。
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| 方丈の玄関の前に咲く白梅です。 |
庫裏の玄関の前に咲く白梅です。 |
学校門の前の紅梅です。 |
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南庭園と湯島聖堂から移した楷樹です。 |
書院の廊下から見た北庭園です。 |
足利学校中興の祖、上杉憲実の碑です。 |
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