蕨本陣跡 〜小林一茶〜
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国道17号は中山道。


蕨市の国道17号の東に旧中山道がある。

中山道蕨宿


蕨宿は板橋宿の次の宿駅。

蕨本陣跡があった。


蕨市指定文化財

蕨本陣跡

 蕨宿は江戸時代に中山道第2の宿駅として栄えたところである。

 慶長11年(1606年)蕨城主渋川公の将佐渡守岡田正信の子息正吉が初めて蕨宿本陣問屋名主の三役を兼ねたと伝えられている。

 その後、その役は子孫にうけつがれ明治維新まで続いた。

 蕨本陣の建物は今は同家にのこる本陣絵図面などによって知る外はないが、公家大名などが休泊し、文久3年(1868年)には明治天皇の大宮氷川神社御親拝の際の御小休所となった。

 現在、岡田家には古文書古記録歴史的遺品などわが国近世交通史の研究に重要な資料が多数保存されている。

撰文 大野 晋

蕨市教育委員会

蕨本陣跡の隣に蕨市立歴史民族資料館がある。

武蔵国塚越(現蕨市)に俳人梅富がいた。

 元文4年(1739年)、白兎園宗瑞白井鳥酔が梅富を訪れている。

梅富の句

掛て置く十二一重や松に蔦


 延享2年(1745年)4月、横井也有は尾張公のお供をして江戸を下る。蕨宿で昼餉。

 といへる所に、とばかり昼げとゝのへて出つ。


 岡田本陣家の当主岡田正義は肯三亭和風と号し、白寿坊と親交が深かった。白寿坊は蕨に来るたびに同家に泊まり、句会を催している。

 寛政3年(1791年)4月10日、小林一茶は郷里の柏原に帰る途中で戸田の渡しを越え、蕨宿に入る。

 戸田の渡りを越へて、わらび駅に入れば、薄々と日は暮れぬ。

蕨宿に泊まったようだ。

 天保2年(1831年)10月11日、渡辺崋山は「毛武」へ旅立ち、蕨宿を通っている。

 蕨駅 北根岸、白旗(幡)、岸、一里半 此辺有坂、やき米を売をもて名あり。

渡辺崋山「毛武游記」

一里塚へ。

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