梅屋敷趾 〜臥龍梅〜

香取神社から北十間川に沿って浅草通りを行く。
梅屋敷趾の碑があった。

梅屋敷は呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘。
「臥龍梅(がりゅうばい)」という梅の木が有名で、江戸庶民の梅見の名所。
白雲の龍をつつむや梅の花 嵐雪
八代将軍徳川吉宗公や水戸光圀公も訪れたそうだ。
碑の脇に梅の木があったが、陽当たりも悪く、梅の花は疎らであった。
歌川広重『名所江戸百景 亀戸梅屋舗』

ゴッホが油絵に模写したという。
大島蓼太は臥龍梅を句に詠んでいる。
鈴木荘丹も大島蓼太と臥龍梅を訪れたようだ。
文化2年(1805年)1月10日、小林一茶は梅屋敷を訪れた。
十日 晴 文国宿 梅屋敷
只の木はのり出で立てり梅[の]花
『文化句帖』(文化2年正月)
一茶は翌日亀戸天神社を訪れている。
文化4年(1806年)1月15日、一茶は祗兵と梅屋敷へ。
十五日 晴 北風 祗兵と梅屋敷ニ入 十兵衛息年礼 野逸死ス
この日、加藤野逸は80歳で没。
明治31年、正岡子規は「臥龍梅」を歌に詠んでいる。
臥龍梅
梅園に老い行く年を臥す竜の爪もあらはに花まばらなり
明治43年(1910年)、水害で大部分の木が枯れ、大正10年(1921年)完全に滅びたそうだ。
明治43年8月10日、埼玉県幸手の権現堂提が切れ、浅草の観音様まで水が来た。この大水害で東京市長尾崎行雄は荒川放水路の計画を立てたという。
正岡子規が歌を詠んでから12年後に「臥龍梅」の大部分の木が枯れてしまったわけである。
天祖神社へ。
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