日光東照宮 〜陽明門〜

日光二荒山神社から日光東照宮へ。
江戸時代、日光東照宮には毎年4月に朝廷からの使いが派遣されていた。これを日光例幣使と言う。例幣使は、京都を出発し中山道を下り上野国倉賀野で玉村への道をとり、下野国楡木で壬生道、同国今市で日光道中に入った。
例幣使は正保4年(1647年)から慶応3年(1867年)の221年間、一度も中断することなく派遣された。
日光東照宮陽明門

国宝である。
元禄2年(1689年)4月1日(新暦5月19日)、芭蕉は日光東照宮に参詣した。
元禄9年(1696年)、天野桃隣は東照宮に句を奉納している。
延享4年(1747年)、横田柳几は陸奥行脚の途中で東照宮に参拝している。
東照宮を拝し奉りて
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神風の薫リや瑠璃の宮はしら
| 柳几
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明和7年(1770年)、加藤暁台は奥羽行脚の旅で句を奉納している。
ふむも恐れ闇に闇なき木々の下
| | 暁台
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明和8年(1771年)8月12、3日、諸九尼は東照宮に参詣している。
明るをまちて、御宮にまうづ。霧吹はれて、朝日の光り玉籬にかゞやき、甍をつたふ露の雫もるりこはくの玉かとあやまたる。まことに極楽国のしやうごんも、かくやと思れ、おそれミおそれミぬかづき奉る心の中にも、かゝる日影のどけき御代にむまれあひたる我も人も、一度まうでざらましかバと、尊さの身にも心にもあまりて、泪さへとゞめがたく、下向し侍りぬ。
嘉永5年(1852年)4月1日、吉田松陰は日光東照宮へ。
二荒山に至り、一夫を雇ひて導と爲す。社は造築宏莊、文采華麗、金章・朱楹・銅瓦・粉柱、爛々として目を眩す、噫、美なるかな。吾れ知る、阿房宮をして大成せしむと雖も、其の美は則ち固より此れに譲ること萬々ならんと。
日光東照宮陽明門の脇に楓が黄葉していた。

カエデ科の「槭」ではなく、マンサク科の「楓」である。
明治39年(1906年)9月27日、河東碧梧桐は東照宮に参詣した。
陽明門は見るごとによくなる。初めは小細工なせせこましいものじゃと思うた。今度はその小細工の中に多少の余裕を発見したように思う。しかしまだあらずもがなと思う処がある。
東照宮東西廻廊が見える。これも国宝。
唐門

唐門も国宝だった。
奥宮(家康公のお墓所)の魔除けとして、参道入口に眠猫がある。
眠り猫

左甚五郎作
意外に小さい。
奥宮御宝塔(御墓所)

御祭神家康公の神柩をおさめた宝塔である。
養源院跡へ。
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