東京大学医学部〜ベルツ先生〜
文京区本郷7丁目に東京大学医学部がある。
医学部の片隅にベルツ先生、スクリバ先生の胸像がある。

東京大學名譽教師ベルツ先生(在職1876−1902)、同スクリバ先生(在職1881−1901)は本學部創始のころ20年以上にわたって、それぞれ内科學外科學を教授指導し、わが國近代醫學の真の基礎を築いた恩人である。
この碑は両先生の功績を記念するため、明治40年4月4日(1907年)建設せられたが、このたび医學部總合中央館の新築にともなって、昭和36年11月3日(1961年)原位置の北方約60メートルのこの地点に移した。
東京大學醫學部
エルウィン・フォン・ベルツ
Erwin von Baelz
(1849〜1913)
南ドイツのビーティハイムで生まれる。チュビンゲン大学医学部に入学し、ライプチヒ大学医学部を最優秀の成績で卒業した。ライプチヒ大学病院に入院した第1回医学留学生の相良元貞を診察したことがきっかけとなり、明治9年に下谷和泉橋時代の東京医学校に招聘された。
明治35年までの26年間、内科学の教育と診療にあたり、わが国の内科学の礎を築いた。明治14年以後は東京大学医学部の外国人教師の主任を務めた。ツツガムシ病、肺ジストマ、温泉療法、人類学、民族学などを研究し、世界で最初に肺吸虫卵を発見した。退任後は侍医を務め、明治38年に帰国した。『ベルツ日記』は日本の近代化を記録した歴史的資料として知られる。大正2年に大動脈瘤により没した。
胸像の左手に水原秋桜子の句碑があった。

胸像をぬらす日本の花の雨
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