波浮港見晴台
〜与謝野鉄幹〜
大島公園
から波浮の港に向かう。
途中に筆島があった。
筆島は海中に浮かぶ高さ30メートルの岩。
島ではない。
波浮港見晴台に行く。
波浮港見晴台から波浮港を見下ろす。
波浮港はもとは火口湖であった。
1703年(元禄16年)の大津波で外海と通じたため、港として完成させたものだそうだ。
波浮港見晴台に与謝野鉄幹の歌碑があった。
山めぐり波浮の入江の青めるに影しぬ船と片側の町
与謝野鉄幹
昭和8年4月3日来港「松友館」
波浮の港を愛する会
昭和8年4月2日夜、与謝野鉄幹は妻晶子、末娘藤子、友人井上苔渓の4人で大島に向かい、船中泊。3日、波浮村の「松友館」泊、5日。元村の「三原館」泊。
鉄幹が亡くなる2年前のことだ。
波浮には「波浮の港を愛する会」が建てた「
大島に蚊と牛糞なかりせば不寒不熱の極楽の里
」という井上円了の歌碑のもあるそうだが、分からなかった。
井上円了は東洋大学の創設者である。
明治42年11月12日、井上円了は伊豆大島を訪れて「伊豆大島紀行」に「
気候は夏暑からず冬寒からず、大いに健康に適す。
」と書いている。
ただし、「伊豆大島紀行」では「蚊と牛糞」ではなく、「風と牛糞」になっている。いずれにせよ「
牛糞の臭気の鼻をつくは、外来の人をして不快を感ぜしむ。
」と書いているから「牛糞」には閉口したようだ。
歌碑の前でしきりに携帯電話で話している人がいた。
待ち合わせた人が来ないらしい。
波浮の港
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