玉村八幡宮〜竹内勇水〜

玉村町下新田に玉村八幡宮(HP)がある。
随神門

玉村八幡宮社殿

永正4年(1507年)建立。本殿は重要文化財である。
慶長15年(1610年)、角渕から現在地の下新田に移された。
境内に竹内勇水の句碑があった。

啼寿て亭思於裳飛奈計南る雉可那
竹内勇水句碑
啼きすてて思いなげなる雉(きぎす)かな
句意は、けんけんという雉子(きじ)の短い鳴き声のさらりとしとようなさっぱりした心境を、この声に託したものであります。
竹内勇水は、江戸時代中期より後期の俳人。享保13年(1728年)生まれ、下新田の人です。名は徳往(のりあき)、その通称源右衛門、屋号を岸屋と云い、代々宿役人でした。江戸時代の俳人涼袋と交渉をもち、子弟も多く那波俳壇を代表する俳人でした。また書にも巧みで、玉村八幡宮境内の芭蕉十六夜塚や自句の碑にも彼の筆跡が見られます。
文化9年(1812年)没、85才。墓は神楽寺東墓地にあります。
玉村町教育委員会
明和3年(1766年)11月25日、建部凉袋は玉村宿へ。
末の九日、玉村なる勇水(イサミ)・青賀(アヲホギ)等むかへて、其所に行く。道はいと近きほどなり。をばな折れかへりたるかたへに、おくつきのあるを見て、
なき跡のさゝやかなるは子にかあるらん
勇水の門人に新町の俳人小淵湛水がいる。
社殿左手の樹下に芭蕉の句碑があった。

やすやすと出てゝいさよふ月の雲
出典は『笈日記』(湖南部)。
元禄4年(1691年)8月16日、義仲寺の草庵で詠まれた句。
芭蕉48歳の時である。
文化2年(1805年)8月、一桂庵勇水建立。竹内勇水筆。
『諸国翁墳記』に「十六夜塚 上щハ村宿八幡宮神前ニ在 勇水建之」とある。
玉村八幡宮の西隣に神楽寺がある。
八幡山偏照院神楽寺

天台宗の寺である。
神楽寺に竹内勇水の墓があるようだ。
勇水の句
きりきりす案山子の袖の中に鳴
かくれ家や一歩に得たる蚊遣種
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