武重本家酒造〜若山牧水の歌碑〜

上信越自動車道佐久ICで国道141号に入る。
「浅間中学西」を右折して県道44号下仁田浅科線を行く。
千曲川の手前に塩名田(しおなだ)宿跡がある。
塩名田宿

塩名田宿は日本橋から中山道23番目の宿で、千曲川川越しの宿として栄えたそうだ。
望月宿を過ぎて、茂田井宿に向かう。
旧中山道沿いに武重本家酒造(HP)がある。
武重本家酒造は明治元年に武重徳左衛門(武重家12代当主)が開業。
武重本家酒造

酒林(さかばやし)が見える。
酒林(さかばやし)の説明が書いてあった。

さかばやし「酒林」
「酒は飲みたし銭はなし酒の林を見て通る」さかばやしは造り酒屋の看板であり、杉の葉を集めて丸く刈り込んで造られたもので、昔は毎年新酒のできる春になると青い杉の葉で作った「さかばやし」を軒につるしたものです。古来酒壺のことを「みわ」と呼び、酒の神をまつる大和の国の三輪山の杉を標(しるし)の神木とし、特に尊崇なる様になった古来に由緒あるものとも云われています。
俳諧寺入道一茶の句に
杉の葉をつるしてみるや濁酒
杉の葉のピンと戦(そよ)ぐや新酒樽
ここで一茶の句にお目に掛かるとは思わなかった。
「杉の葉をつるしてみるや濁酒」は文政5年(1822年)秋の句。出典は『文政句帖』
「杉の葉のピンと戦(そよ)ぐや新酒樽」の句は文政8年(1825年)秋の句。出典は同じく『文政句帖』。
武重本家酒造の建造物は国の登録有形文化財。

若山牧水の歌碑がある。

よき酒とひとのいふなる御園竹われもけふ飲みつよしと思へり
しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
ひとの世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにの楽しみ
脇に「若山牧水曳杖之址」と書いてあった。
大悟法利雄『牧水歌碑めぐり』によれば、昭和42年8月12日除幕、50番目の牧水歌碑である。
武重本家酒造に若山牧水愛用の徳利が展示されていた。

左の小皿に塩が盛ってあり「牧水の塩酒」と書いてある。
牧水は塩を肴に酒を飲んだようだ。
大正14年(1925年)の春、「若山牧水が来宅され、酒を飲みつつ門前の歌碑の歌を作り残された」と書いてあった。
大正14年4月18日、牧水は岩村田に着き、信濃揮毫行脚をしている。その時に武重本家酒造で揮毫したものを歌碑にしたのだろう。
「よき酒とひとのいふなる御園竹われもけふ飲みつよしと思へり」の歌は武重本家酒造の代表銘柄「御園竹」を詠み込んでいるから、この時詠まれた歌であろう。
「しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」の歌は明治43年(1910年)9月の歌。出典は第4歌集『路上』。「9月初めより11月半ばまで信濃国浅間山の麓に遊べり、歌96首。」とある中の一首である。
「ひとの世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにの楽しみ」の歌は有名だが、出典は分からない。
後日、指摘を頂いた。
大正7年(1918年)の歌で、第13歌集『黒土』に収録されていた。
この頃、牧水の体調は「このまま酒を断たずば近くいのちにも係るべしといふ、萎縮腎といふに罹りたればなりと。」という状態であったようだ。
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