鴫立庵 〜碑巡り〜
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JR東海道線大磯駅から海岸に向かうと、鴫立沢に鴫立庵がある。


鴫立庵


 寛文4年(1664年)、小田原の崇雪がこの地に五智如来像を運び、西行寺を作る目的で草庵を結んだのが始まりで、元禄8年(1695年)俳人の大淀三千風が入庵し鴫立庵と名付け、第一世庵主となりました。

 現在では、京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つといわれています。

 崇雪が草庵を結んだ時に鴫立沢の標石を建てたが、その標石に「著盡湘南清絶地」と刻まれていることから、湘南発祥の地として注目を浴びています。

こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ  (西行法師

西行の歌碑があった。


こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮

佐佐木信綱

第一世庵主 大淀三千風
第二世庵主 大本朱人句碑



鴫きゝて名月そなるなほあハれ
   三千風居士遺章

ちり塚にもろしや花の菜大根
   朱人居士遺吟

三世庵主

白井鳥酔追善句碑


白井鳥酔は鴫立庵三世庵主。在庵4年。

戸田茂睡の歌碑があった。


あはれおもへむかしの秋のそれならてしきたつ沢にのこすわか名を

天和3年(1683年)3月25日、建立。

 戸田茂睡[1629〜1706]は歌学者・歌人。駿河の人。名は恭光(やすみつ)。通称、茂右衛門。号、梨本(なしのもと)・隠家。岡崎藩本多氏に仕えたが、のち江戸浅草に隠棲。

浅草の待乳山聖天にも歌碑がある。

円位堂


 大淀三千風の建てたもので、堂内には西行法師坐像が安置されているそうだ。

円位堂の左に芭蕉の句碑があった。


はこねこす人もあるらしけさの雪
春たちてまだ九日の野山哉
みのむしの音を聞に来よ草の庵
日のみちや葵かたむく皐月雨

大淀三千風墓碑


鴫立し沢辺の菴をふきかえて
   こゝろなき身のおもひ出にせん

鴫たつてなきものを何よぶことり

鴫立澤一世

鳥醉翁


大嶌や波によせたる雪の船

明和第六己丑歳次四月四日

東都松露庵 烏明樹立

明和6年(1777年)4月4日は、鳥醉の没年月日。

杉坂百明句碑


西東鳴へき夜也ほととぎす

百明房得らひたり昨烏歎書

明和7年(1770年)8月13日、建立。昨烏揮毫。

昨烏は加舎白雄の前号。

杉坂百明は上総東金に生まれる。通称志蔵、土竜庵。白井鳥酔門。

鴫立庵四世。在庵16年。

天明4年(1784年)7月22日、歿。

明和8年(1771年)4月23日、諸九尼は鴫立庵を訪れている。

 廿三日 大磯にいたり、鴫たつ沢の庵を音信けれど、あるじは留守なりければほゐ(い)なくて、

   鴫の声なくてうらやミ麦の秋

 かく書付て立出けるに、やがて帰たりとて、人して呼とめられて、また立帰りぬ。西行上人の像を拝、鳥酔老人の塚などとぶらひぬ。松の嵐、磯うつ波の音、何となく物悲しく、心なき身にも哀ぞ添ぬる。


加舎白雄の句碑があった。


白雄居士

吹つくし後は草根に秋のかぜ

加舎白雄は鴫立庵五世庵主。在庵8年。

三浦柴居句碑


夜をひと夜おもへハなかし松の霜

三浦柴居は鴫立庵七世庵主。在庵1年2ヵ月。

倉田葛三は鴫立庵八世庵主。在庵24年。

 文化3年(1806年)7月4日、菜窓菜英は鴫立庵を訪れたが、庵主葛三は留守。

庵主葛三は行脚の畄守とて暮玖と言

根方尺布の伯父なん人にまミへ(え)、す(し)はらくの

もの語して、宿の案内も老か身すから

なしくれ、心あり氣なる家に泊る。

   こゆるきや旅の柱の一葉舟


文政元年(1818年)6月12日、葛三没。

遠藤雉啄は葛三の墓碑を造立。

句碑はない。

雉啄の句碑がある。


心ほど世は経かたくも散櫻

雉啄は鴫立庵九世庵主。在庵27年。

佐佐木信綱の歌碑もあった。


こゝろ今もいこひいまさむ波のおと松風きよきこの海そひに

鴫立庵は茅葺屋根の葺き替え工事のため平成19年12月29日から休庵。

来春再開するそうだ。

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