笹野観音〜碑巡り〜
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米沢市笹野に幸徳院(HP)という寺がある。


長命山幸徳院


真言宗豊山派の寺である。

山門を入ると左手の漱口場側には小さな芭蕉の句碑があった。


ものいへは唇寒し秋の風

出典は『芭蕉庵小文庫』(史邦編)。

この句碑は文化9年(1812年)松尾芭蕉の百二十回忌を翌年に控え、父についで藩の医師で、また俳号を稲丸と稱していた山口彭寿が社中の協賛を得、翁の追善のため建立寄進したものである。

「父」は山口如是坊である。

如是坊の句碑もあった。


長閑さやうまれたまゝのひがしやま

如是坊は米沢の藩医山口立元。美濃派の俳人である。

文化12年(1815)、没。

右手には大きな芭蕉の句碑があった。


観音乃甍ミやりつ花の雲

出典は『末若葉』(其角編)。

貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。

天保14年(1842年)10月12日、芭蕉の百五十回忌に建立。

幸徳院は「笹野観音」として知られている。

笹野観音堂


 坂上田村麻呂の開基、奈良時代・大同元年(806年)に法相宗の名僧・徳一上人によって中興されたと伝えられています。

 天正以来(1573年以来)、伊達氏・上杉氏の信仰篤く、現在の御堂は天保4年(1833)火災で焼失したものを天保14年(1843年)に当時の藩主であった上杉斉憲公が再建したものです。

 総ケヤキ造り・彫刻の精巧さは、この地方では珍しい伽藍です。

 本尊は千手千眼観世音菩薩で置賜19番、米沢1番札所となっています。

 初夏には境内にあるアジサイが見事な花をつけるため、「アジサイ寺」の異名があります。

米   沢   市
米沢観光協会

笹野彫の由来


笹野彫は遠く慶長の昔、米沢中興の英主上杉鷹山の産業奨励により笹野の里の人々の特技として起り、鶏の如く早起し、兔の餅つきの如く勤勉に簔笠つけて働けば、鷹の如く禄高を増し、恵比寿大黒にあやかり福徳圓満をむかえ、蘇民将来の子孫の如く無病息災にして、亀の如く長生きし、鶺鴒の如く子孫繁栄することの縁起を有つ古い伝統の民芸玩具である。

現代に於ては更に米沢が誇る特産品として笹野花と創作の数々を加え、美しく巧妙なる郷土民芸品として内外に賞賛を博することとなったのである。

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