レストラン「パティオ」 〜「米屋旅館」〜

イタリア大使館別荘記念公園から立木観音前船付場へ。
立木観音前船付場から見る男体山(標高2,484m)

中禅寺湖畔は大正末期から戦前にかけて各国大使館の別荘が建ち並ぶ国際的避暑地として賑わっていたそうだ。
立木観音前船付場の近くには現在でもフランス大使館別荘がある。
われの船佛の大使の水荘の前に及べるうす霧を分く 晶子
昭和7年6月11日、与謝野鉄幹晶子夫妻が「米屋旅館」に泊まり、米屋の船で出かけた時に詠まれたものだそうだ。
中禅寺湖畔「米屋旅館」

与謝野鉄幹晶子夫妻は大正14年5月17〜19日の3日間、米屋旅館に宿泊している。
大正14年の11月に実家の米屋旅館が全焼した。宿泊客の男女が放火して心中をはかったのである。
井上文雄の手記
与謝野鉄幹晶子夫妻が宿泊してから半年後のことである。
昭和31年(1956年)、米屋旅館は火事で全焼。
2004年5月「米屋旅館」は廃業。その建物も取り壊されてしまった。
現在はレストラン「パティオ」だけが営業している。
レストラン「パティオ」

レストラン「パティオ」で、お昼を食べる。
大正11年(1922年)10月29日、若山牧水は「米屋旅館」に泊まっている。
この時の牧水は上州草津から野州日光までの歌行脚、いわゆる「水上紀行」の旅の途中、日光はその最終目的地に当たっていた。前日に牧水は中禅寺湖畔の私の実家米屋旅館に1泊し、長兄志郎等から湖水周辺を案内されて幾つかの歌を残している。
井上文雄の手記
「長兄志郎」が「米屋旅館」先代の主人。
レストラン「パティオ」の主人は、その息子さんである。
レストラン「パティオ」から見る男体山(標高2,484m)

湯の湖へ。
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