西新井大師 〜芭蕉の句碑〜

平成20年3月30日、日暮里・舎人ライナーが開業した。
今まで交通の便が悪いのでなかなか行けなかった西新井大師に行ってみた。
日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅下車して環七通りを東に行くと、西新井大師があった。
山門の裏側

表側は仲見世通り商店街に隠れて山門の全景が撮れない。
五智山遍照院總持寺

真言宗豊山派の寺院である。
関東三十六不動霊場第26番札所、関東八十八ヵ所霊場特別霊場でもある。
折しも大曼荼羅完成慶讃法要が終わった時だった。

光明殿に芭蕉の句碑があった。

父母のしきりにこひし雉子の聲
出典は『笈の小文』。
貞亨5年(1688年)春、芭蕉が杜国と高野山を訪れて詠んだ句。
高野
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ちゝはゝのしきりにこひし雉の声
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ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊
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万菊は流刑中の杜国。
寛文6年(1666年)4月25日、芭蕉の主君良忠(俳号蝉吟)は25歳で没し、芭蕉は蝉吟の位牌を高野山報恩院に納める使者を務めたという。
天保12年(1841年)、芭蕉翁百五十回遠忌に句碑建立。
江戸時代のものとは思えないほど立派な句碑だった。
西新井大師は「ぼたん園」が知られている。
文化・文政(1804−30)の頃から真言宗豊山派総本山長谷寺の株が移植されたそうだ。
「ぼたん園」に八巣蕉雨の句碑がある。

一輪の牡丹終日咲にけり
天保10年(1839年)、八巣謝堂建立。
明治27年、子規は虚子と千住街道を草加迄行き、さらに西新井の大師堂を拝み、最終汽車で帰った。
日影薄く梅の野茶屋の餘寒かな
乞食(こつじき)の梅にわづらふ餘寒かな 虚子
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