勿来の関跡 〜猩猩袴〜
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国道6号から勿来海水浴場で坂道を上ると、勿来の関跡がある。


奥州勿來舊崇趾


勿来の関は白河関念珠(ねず)ヶ関とともに奥羽三関のひとつで、歌枕。

源義家像


勿来の関の「詩歌の小径」に歌碑や句碑があった。

小野小町の歌碑


みるめ刈る海人の往来の湊路に勿来の関もわが据なくに

『新勅撰和歌集』

『新勅撰和歌集』は第9番目の勅撰和歌集。

小野小町の歌の向こうに常陸の海が見える。


小野小町の歌で勿来の関は歌枕として知られるようになったようだ。

源義家の歌碑


陸奥国にまかりける時、勿来の関にて花の散りければよめる。

吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな

『千載集』

 寛文2年(1661年)7月20日過ぎ、西山宗因は勿来の関を越えて松島へ向かった。

 身をうき草のさそはるゝかたもなくて、こゝろのゆくところにまかせて、春過秋来、既文月二十日余には、みちのくのなこその関をこえて、なにがしの城下にいたる。

「松島一見記」

芭蕉の句碑


風流の者しめや於久能の田植う多

明治39年9月10日、河東碧梧桐は勿来の関を訪れた。

 勿来の関は九面(ここつら)の町はずれから左に数町上るのである。峰の上に松が五七本立っておる。東に海を見晴らし、西に常磐の連山を望む眺望は、馬上一顧の値いがある。蹄の跡というまでもなく、昔の関所も街道もどこをしるしとする便りもない。桜はこの頃化石になって出るという。


斎藤茂吉の歌碑


みちのく能勿来へ入らむ山かひに梅干ふくあれと阿がつま

猩猩袴(しょうじょうばかま)が咲いていた。


猩猩袴(しょうじょうばかま)はユリ科の花。


平潟港へ。

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