宝隆寺 〜濱田庄司〜

川崎市高津区溝の口に宗隆寺という寺がある。
文政12年(1829年)玉川老人亭宝水(溝口の灰吹薬局2代目二兵衛によって建立された芭蕉の句碑があります。
世を旅に代(しろ)かく小田のゆきもどり
と刻まれ、宗隆寺山門と同様に時代のおもかげを残しています。
高津観光協会・高津区役所
宝隆寺山門

陶工・濱田庄司の墓
陶芸家、故、濱田庄司先生は「橘樹群、高津村、溝ノ口」に明治27年、12月に生まれました。父方は「溝ノ口の大和屋」という江戸時代から続いた菓子舗で、母方、太田氏も藩医を努めた溝ノ口の旧家でした。
明治24年、先生は高津村小学校に入学し、そこには上級生をして「大貫カノ」、のちの岡本かの子氏がおりました。
陶芸家として世に出た先生は栃木県益子に窯を築き「世界の濱田」と称えられる活躍をされましたが、本籍地は生涯「溝ノ口672」のままでした。先生は優れた業績と現代陶芸界にあたえた大きな影響力により人間国宝の指定、文化勲章の受章など栄誉をうけられましたが、川崎市においても郷土の生んだ偉大な芸術家として川崎文化賞を受賞されています。宗隆寺は濱田家の菩提寺で先生の本葬もここで営まれ、墓所も当寺にあります。
濱田庄司の碑

昨日在庵
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今日不在
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明日他行
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濱田庄司書
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興林山宗隆寺

日蓮宗の寺である。
本堂の左手に芭蕉の句碑があった。

世を旅に代かく小田の行きもとり
出典は杉山杉風宛書簡(元禄7年閏5月21日)。
「荷兮方にて」とある。
『笈日記』(尾張部)に「去年元禄七年前の五月なるべし。尾張の国に入て、旧交の人々に対す」と前書きある。
「代かき」は水田に水を引き入れ、土を砕き、ならして田植えの準備をすること。田掻き。夏の季語である。
『諸国翁墳記』に「小田塚 武藏国玉川 寳水建」とある。
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