金福寺〜与謝蕪村〜
indexにもどる

京都市左京区一乗寺才形町に金福寺という寺がある。


佛日山金福寺


 貞観6年(864年)、慈覚大師自作の聖観音像を本尊とし、天台宗の寺院として創建。鉄舟和尚が再興し、臨済宗南禅寺派の寺とした。

金福寺の庭園


庭園に蕪村と古池の句碑があった。


花守は野守に劣る今日の月
   蕪村

西と見て日は入りにけり春の海
   古池

百池は蕪村の門弟寺村百池。

明治15年、蕪村の百回忌に百僊が建立したらしい。

百僊は寺村百池の孫。

庭園の東側に「芭蕉庵」がある。


芭蕉は金福寺の鉄舟和尚よく訪れ、和尚は「芭蕉庵」と名付けていた。

「芭蕉庵」に芭蕉の句碑があった。


うき我をさひしからせよかんこ鳥

出典は『嵯峨日記』

元禄4年(1691年)4月22日、芭蕉48歳の句。

四世落柿舎社中建立。

与謝蕪村は「芭蕉庵」を再興。

天明元年(1781年)、「洛東芭蕉庵再興記」を金福寺に納めた。

四明山下の西南一乗寺村に禅房あり、金福寺といふ。土人口称してばせを庵と呼ぶ。階前より翠微に入ること二十歩一塊の丘あり。すなはちばせを庵の遺跡也とぞ。

芭蕉の碑


蕪村や道立が建てたもので、芭蕉の生涯を称えた文が刻してある。蕪村は碑の建立時に

   我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花

とよみ残していたので、望みどおり後丘の墓に納骨された。

天明3年(1783年)12月25日、68歳で没。

与謝蕪村墓


祖省塔


「村山たか女」の参り墓

たか女は、明治9年金福寺で14年間隠棲し、67才の生涯を閉じた。当時この寺は圓光寺の末寺であったので、本墓は圓光寺にたてられた。金福寺でも彼女の菩提を弔うため本墓の土を埋め、彼女の筆跡を刻み、参り墓とした。

徂く春や京を一目の墓どころ
   虚子

私の旅日記のトップページへ