北向観音堂〜碑巡り〜

安楽寺から北向観音堂へ。
別所温泉といえば北向観音堂だが、駐車場が有料なので、別所温泉に来ても立ち寄ったことがなかった。
北向観音堂

信濃三十三観音特別霊場である。
北向観音堂
天台宗
開山 慈覚大師
南面の善光寺阿彌陀如来に相対しているところから「善光寺」だけでは「片詣り」になると傳えられており、又古くから「厄除観音」として知られている。
慈覚大師は円仁の諡号。円仁(794−864)は平安初期の天台宗の僧。下野の人。838〜847年、唐で密教を学ぶ。854年第三代天台座主となり、天台密教を充実させ、日本天台宗の教義を大成させた。
加舎白雄は北向観音を句に詠んでいる。
芭蕉の句碑があった。

観音のいらか見やりつはなの雲
貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。
芭蕉が深川の草庵で病気で寝ていた時に作ったという。
芭蕉が北向観音を訪れたわけではない。
句碑は安永3年(1774年)3月建立。
東武松露菴門人別所手塚連中 安永甲午暮春
文字は加舎白雄のものだそうだ。
まさしにうけさせたまへとつゝしミ申て碑前に遺詠を唱ふること百遍。かたじけなさに涙膝にしだツ。
いしぶみや大悲のはなの香ににほふ
北原白秋の歌碑もあった。

観音のこの大前に奉る絵馬は信濃の春風の駒
昭和37年(1962年)建立。
北原白秋は大正12年4月中旬、山本鼎の「農民美術研究所」開所式の後、妻子とともに別所温泉を訪れ、柏屋本店に数日滞在している。
山本鼎(1882−1946)は洋画家・美術教育家。愛知県生まれ。5歳の時上京、父一郎が森鴎外の父静男経営の医院橘井堂の書生として住み込んでいたため、浅草山谷に住む。日本創作版画協会を創立、版画の普及に貢献。また農民美術運動・自由画運動を提唱、長野県に日本農民美術研究所を建設。
「夕焼小焼」の碑もあった。

夕焼小焼
中村雨紅 作詞 草川信 作曲
夕焼け小焼けで 日が暮れて
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山のお寺の 鐘が鳴る
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お手々つないで みな帰ろう
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からすといっしょに かえりましょ
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昭和36年(1961年)建立。
中村雨紅(1897〜1972)は東京南多摩の生れ。
東京都八王子市の陣馬街道にも「夕焼小焼」の碑がある。
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