吉備津神社 〜犬養毅の銅像〜

岡山市北区吉備津に吉備津神社(HP)がある。
吉備津神社

備中国一之宮である。
吉備中山が紅葉している。
吉備中山は備前と備中の国境である。
吉備津神社
10代崇神天皇の御代に、四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命を祭神とし、 古来吉備地方の総氏神として崇敬されている。現在の本殿及び拝殿は、応永32年(1425年)に完成。本殿は、比翼入母屋造りまたは吉備津造とよばれる。独創的様式の大建築で、拝殿と共に国宝に指定されている。また、延文2年(1357年)再建の南随神門と天文12年(1543年)再建の北随神門は、共に国の重要文化財、鳴釜神事の行われる御釜殿は慶長17年(1612年)の建築で 岡山県重要文化財に指定されている。
岡山県・岡山市
吉備津神社の駐車場に犬養毅(つよし)の銅像があった。

犬養木堂先生 銅像の説明
犬養毅(木堂と号す)は安政2年(1855年)に備中国賀陽かよう郡庭瀬村(現在、岡山市川入に犬養源左衛門の二子として生る。
明治8年(21才)上京し慶應義塾に学ぶ。明治10年(23才)西南戦争起るや従軍記者となったが、その後、文筆と雄弁をもって政治運動に入り、明治23年(36才)衆議院議員となる。明治31年(44才)文部大臣に任ぜらる。その後、立憲国民党、革新倶楽部等を組織し、「憲政の神」と称せらる。
大正13年(70才)逓信大臣、昭和4年(75才)政友会総裁となり昭和6年総理大臣となる。しかるに、翌昭和7年(1932年)いわゆる5・15事件勃発し過激派のために官邸にて暗殺さる。享年78才、正二位・旭日桐花大綬章を追贈せらる。
毅の生家(此処より南方へ約3キロに現存)は代々庭瀬藩の大庄屋、その遠祖犬養健命(いぬかいたけるのみこと)は大吉備津彦命の随神なり。よって氏神吉備津神社のため尽瘁(じんすい)するところ多し。毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和9年この地に銅像を建つ。作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨するの概あり。
去来の句碑があった。

秋風や鬼とりひしぐ吉備の山
出典は不明。
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