桂昌寺〜江口きち〜

川場村谷地に桂昌寺という寺がある。
萬松山桂昌寺

臨済宗建長寺派の寺である。
桂昌寺の観音塚に芭蕉の句碑があった。

山里は萬歳おそしうめの花
元禄4年(1691年)春、故郷の伊賀で詠まれた句。
『笈日記』(支考編)は岐阜部に収録。
文久元年(1861年)3月、川場村谷地の桜川のほとりに建立。
後、県道沿いの原の地蔵の脇に移し、道路拡張のため更に桂昌寺に移されたという。
観音塚にもう1つ芭蕉の句碑があった。

古池や蛙とひこむミつのお堂
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、深川芭蕉庵で詠まれた句。
平成2年7月、無量菴海月建立。
無量菴海月は桂昌寺住職で、芭蕉像が線刻されている。
江口きちの歌碑があった。

離りきておもへばあはれ武尊なる山邊にいのち小さかりけり
平成3年(1991年)4月、建立。
大正2年11月23日、江口きちは武尊山麓の川場村谷地に生まれた。
兄廣壽は脳膜炎になり、精神障害者。父が失踪する。母は「栃木屋」開業。
昭和5年(1930年)6月3日、母が死亡。「栃木屋」を継ぐ。
昭和13年(1938年)4月24日、父母の墓碑を桂昌寺に建立。
なかれきて異郷のつちの祖となりし母かかなしきいのちおもほゆ
桂昌寺本堂

昭和13年(1938年)12月2日、兄廣壽を道連れに服毒自殺を遂げる。廣寿29歳、きち25歳。
桂昌寺に墓があり、墓碑に辞世の歌が刻まれている。
おほひなるこの寂けさやあめつちの時刻あやまたす夜は明けにけり
昭和20年(1946年)8月27日、妹たき子は中華民国ハルピン市花園収容所にて死亡、享年29歳。
桂昌寺の墓碑に江口きちの歌が刻まれている。
春にたのむ幸あらなくに春来なはきなはと待ちし妹なりし
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