八幡原史跡公園〜川中島古戦場〜

長野市小島田町の県道35号長野真田線沿いに八幡原史跡公園がある。
八幡原史跡公園は川中島古戦場。
信玄・謙信一騎討ちの像

永禄4年(1561年)の4回目の戦いで、謙信はただ一騎信玄目がけて駆け寄り太刀を振り下ろしたのを信玄は軍配で受けた。
八幡原史跡公園に八幡社がある。

永禄4年(1561年)の川中島の戦いで社殿は破壊され、信玄が再建させた。
貞亨3年(1686年)、大淀三千風は中山道から善光寺街道を行き、川中島に出て善光寺へ。
○即時に一軸かきちらし。揚松梯彌生坂。福島。宮越。鳥居峠本山。松本仇坂矢坂。青柳猿峠丹波島。川中島に出。むかし信玄謙信鼻々したまふ戰塲をかたり。善光寺日野屋なにがしが亭につく。先珠數とりて。其名も高き佛日の善光(よきひかり)ある御寺の境内繁々たる。
八幡社に芭蕉の句碑があった。

十六夜もまた更科の郡かな
出典は『更科紀行』。
坂城で十六夜の月を詠んだ句とされる。
天保14年(1843年)、翁忌芭蕉百五十回造立。
昭和39年(1964年)春、再建。
明和8年(1771年)8月20日、諸九尼は善光寺へ行く途中で川中島に立ち寄っている。
廿二日 善光寺へ行程に、大河をいくつもわたる。爰なん川中嶋といふ。むかしたけ田長尾など聞えし大将の、かせんありし所になん。人の軍書よめるを聞て、所々耳にとまりたる事を思ひつゞけて、かくおさまれる代のしづけく、今は法の道すじと成て、老たる尼ほう(ふ)しまでうちつれて行かふさま、誠に有難ぞおぼゆ。
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