史跡探勝路 〜憾満ヶ淵〜

日光の史跡探勝路を歩き、憾満ヶ淵(かんまんがふち)へ。
憾満ヶ淵(かんまんがふち)日光市指定名勝である。

日光市指定名勝、対岸は日光植物園。
憾満ヶ淵(含満ヶ淵)
川の流れが不動明王が真言を唱えるように響くので、晃海大僧正が真言の最後の句「カンマン」を取り憾満ヶ淵と名付けたという。
晃海はこの地に慈雲寺や霊庇閣、不動明王の大石像を建立したもので、往時は参詣や行楽の人々で賑わった。元禄2年(1689年)芭蕉も奥の細道行脚の途中で立ち寄っている。
「含満」とも書くので「がんまん」と濁って読まれることが多いが、命名の由来から考えると、「かんまん」と澄んで読むのが正しい。
元禄2年(1689年)4月2日(新暦5月20日)、芭蕉は裏見の滝の後、この憾満ヶ淵を正午頃迄見物した。
天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ瀧(一リ程西北)、カンマンガ淵見巡、漸ク及午。
『曽良随行日記』
元禄9年(1696年)、天野桃隣は憾満ヶ淵を訪れている。
慈雲寺と並び地蔵

あまり1人では歩きたくない所である。
慈雲寺
承応(じょうおう)3年(1654年)に晃海大僧正が創建し、阿弥陀如来と師の慈眼大師天海の像を祀った。
当時の建物は明治35年(1902年)9月の洪水で流失した、現在の本堂は昭和48年(1973年)に復元された。
明治35年(1902年)9月の大洪水で大日堂も流失してしまった。
並び地蔵(化け地蔵)
慈眼(じげん)大師天海の弟子約100名が「過去万霊、自己菩提」のために寄進したもので、列座の奥には親地蔵が置かれていた。
明治35年(1902年)の大洪水で、親地蔵と他のいくつかが流された。また、参詣者がこの地蔵の数を数えてみると、そのつど数が違うというところから、化け地蔵とも呼ばれるようになった。
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