金崎宮〜金ヶ崎城跡〜

金前寺から金ヶ崎城跡へ。
金ヶ崎城跡に金崎宮(HP)がある。

金崎宮

御祭神は尊良(たかなが)親王・恒良(つねなが)親王。
沈鐘伝説
延元元年(1336年)、新田義貞らの南朝軍は、後醍醐天皇の皇子の恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に下り、金ヶ崎城に入った。足利軍との戦いに破れ、義貞の子で大将の義顕は陣鐘を海に沈めた。後に国守が海に海士を入れて探らせたが、陣鐘は逆さに沈み、龍頭が海底の泥に埋まって、引き上げることができなかったという。
月いつこ鐘は沈めるうみのそこ
金前寺に句碑がある。
左中将城破れて、洪鐘此金ヶ崎の海に沈しと言伝れば。
左中将は新田義貞のこと。左近衛中将。
昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、金ヶ崎城跡で南朝新田方に思いを馳せている。
これにて我等の細道の旅終りを告げる、金が崎古城の中程のお茶屋で、夜汽車までのひま潰しに、牛鍋で一盃傾けた、其時南朝新田方の勇士海上三里を泳ぎ渡つたが、此下の磯にでも上つたか、此處は要害の切處だが、いざ落城となれば袋の鼠で逃げ場なからう、皇子方はいたはしかつたと、語る語る眠くなり、さし入る小春の日影あたゝきに手枕して、同行二人、思ひ思ひの夢に入り去る、あすは東京に着くばかり。
月見御殿から敦賀湾を見下ろす。

海抜86メートル、金ヶ崎の最高地だそうだ。
鳶が舞っていた。

元亀元年(1570年)4月、織田信長は朝倉義景討伐を企て越前に攻め入った時、お市の方が信長に届けた「小豆袋」で近江浅井氏の裏切りを知る。
その時豊臣秀吉は金ヶ崎城で殿(しんがり)を務めたのである。
元禄16年(1703年)秋、岩田涼菟は金ヶ崎を訪れている。
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