常願寺〜有磯塚〜

氷見市幸町に常願寺という寺がある。
幡谷山常願寺

天正17年(1589年)、開基。
真宗大谷派の寺である。
常願寺の「有磯塚」は氷見市指定文化財。
有磯塚
松尾芭蕉が「奥の細道」の行脚で、万葉故地「田子の藤波」を訪れようとしたが果たせず、あきらめて加賀の国に入った。
このときの「早稲の香やわけ入る右は有磯海」は越中で詠まれた唯一の句である。後に芭蕉が惹かれた氷見の地を慕って訪れた門人達との密接な興隆から、氷見の俳壇は隆盛を迎えた。
このとき芭蕉への追慕の念から有磯塚は建立された。
建立者は加賀津幡の河合見風、筆者は無明狂者(加賀藩家老前田土佐守直躬)である。
県内の芭蕉の関係碑としては最も古いものと考えられており、氷見の俳諧史において重要である。
氷見市教育委員会
山門を入ると、左手に「有磯塚」の副碑があった。

早稲の香や分け入る右は有磯海
成願寺川の石が使われているそうだ。
昭和33年(1958年)10月12日、仕切菊郎建立。富安風生筆。
仕切菊郎は氷見の俳人で『若葉』同人。
富安風生は本名謙次、高浜虚子に師事。昭和4年(1929年)、「ホトトギス」同人となる。『若葉』主宰。
常願寺の中庭

中庭の右手奥に「有磯塚」があった。

早稲の香や分け入る右は有磯海
雨晴海岸・岩崎の石で造られているそうだ。
寛保年間(1741 〜1744)に河合見風建立。無明狂者筆。
天明3年(1783年)4月1日、73歳で没。
「無明狂者」は加賀藩家老前田土佐守直躬の戯号。
ちなみに寛保3年(1743年)は芭蕉50回忌。
『諸国翁墳記』に「有礒塚 越中氷見常願寺ニ在 見風連中建」とある。
昭和13年(1938年)、氷見大火で罹災。
昭和41年(1966年)、常願寺移転により移設。
芭蕉翁石像があった。

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