旧板鼻宿本陣書院
〜中山道〜
安中市板鼻に安中市板鼻公民館がある。
安中市板鼻公民館の前に「中仙道板鼻宿」の碑があった。
海音寺潮五郎筆
板鼻宿は江戸から14番目の
中山道
宿場。
貞亨3年(1686年)4月、
大淀三千風
は信州から妙義、松井田、板鼻、高崎を通り、江戸に下る。
延享2年(1745年)4月6日、横井也有は尾張公のお供をして江戸を下る。8日、
倉賀野
で句を詠んでいる。その夜は板鼻に泊まる。
八日
かくいへる所にて
くらが野ときけばや里も木下闇
けふは過る道すがら、家々の軒に藤をさし侍り。花をもさし葉をもさせり。所の人にきけば、仏生会の手向也と云。故郷にて見馴ぬ事也。みちの国に花かつミふくたぐひにやとめづらし。
潅仏もやがてはへとて藤の花
此夜板鼻にとまる。
『岐岨路紀行』
文化5年(1808年)12月13日、小林一茶は板鼻宿に泊まっている。
十三日 晴 板ガ
(ケ)
鼻石川屋
『文化五・六年句日記』
安中市板鼻公民館は板鼻宿本陣跡。
旧板鼻宿本陣書院
(
皇女和宮
宿泊所)
この建物は、板鼻宿本陣(木嶋家)に付属した書院であった。書院建設年代は、寛永説(1624〜1644)と嘉永説(1789〜1801)がある。
公武合体運動により皇女和宮親子内親王(1846〜1877、孝明天皇の妹)が十四代将軍家茂(1846〜1866)に降嫁するため、京都から江戸への下向途次、文久元年(1861年)11月10日に一夜をこの書院で過ごされた。
時代は下って、板鼻宿本陣敷地が板鼻公民館用地となり、書院はここに曳移転され、外装等に補強の手を加えたが、昔日の面影が偲ばれるよう施工をひかえめとした。
安中市教育委員会
碓氷川を渡ると、中宿。
妙義山が見える。
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