伝 源義経首洗井戸 〜蒔田本陣跡〜
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藤沢に「伝 源義経首洗井戸」があった。


「伝 源義経首洗井戸」


伝 源義経首洗井戸

 「吾妻鏡」という鎌倉幕府の記録によると兄頼朝に追われた義経は奥州(東北)でなくなり、文治5年(1189年)に藤原泰衡から義経の首が鎌倉に送られてきました。義経の首は首実検ののち腰越の浜へ捨てられました。それが潮に乗って境川をさかのぼりこの辺に漂着したのを里人がすくいあげ洗い清めた井戸と伝えられます。

 ここから北方40メートル辺りに義経首塚と伝える遺跡もありました。

源義経史跡藤沢市


 5月22日 辛巳

 申の刻、奥州の飛脚参着す。申して云く、去る月晦日、民部少輔の館に於いて與州を誅す。その頸送り進す所なりと。則ち事の由を奏達せられんが為、飛脚を京都に進せらる。御消息に曰く、

 去る閏四月晦日、前の民部少輔基成の宿館(奥州)に於いて、義経を誅しをはんぬるの由、泰衡申し送り候所なり。この事に依って、来月九日の塔供養延引せしむべく候。この趣を以て洩れ達せしめ給うべし。頼朝恐々謹言。


藤沢の国道467号は旧東海道。

藤沢は日本橋から6番目の宿場。

 嘉永4年(1851年)4月7日、吉田松陰は藤沢宿に泊まっている。

 一、七日 翳。卯後、小田原を發す。肩輿にて酒匂川を渡り、大磯・平塚を經てて、舟にて馬入川を渡る。道常に海と相隨ふ。未後、藤澤に抵る。未だ抵らざること里餘にして雨に遇ふ。


蒔田本陣跡


 本陣は大名・幕臣・公家などの公認宿舎のことで、藤沢宿では大久保町と坂戸町の境付近に蒔田源右衛門が勤める本陣がありました。

藤沢

宿とりて東をとふや暮の月
   其角


古い建物があった。


紙屋さんのようだ。

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