円通寺
〜芭蕉と如水の連句碑〜
大垣市西外側町に円通寺という寺がある。
岐阜県指定史跡
戸田家廟所
大垣藩十万石の歴代藩主が眠る戸田家廟所は、寛永12年(1635年)初代藩主氏鉄
(うじかね)
公が尼崎から大垣へ国替えになった際、同時に戸田家菩提寺の円通寺を移したことに始まる。
先の戦災で大きな被害を受けたが、昭和38年(1963年)市制45周年を期に墓の復旧をはかると共に東京の連光寺にあった九代氏正
(うじただ)
公・十一代氏共
(うじたか)
公の墓も移すことになり、翌年4月戸田家11代歴代藩主の墓が揃い完成した。
大垣市教育委員会
大垣城
に戸田氏鉄公騎馬像がある。
円通寺山門
大垣市指定重要文化財
円通寺山門
円通寺山門は、寛永12年(1635年)大垣初代藩主戸田氏鉄
(うじかね)
公が尼崎から大垣へ国替になった際、同時に菩提寺である本寺の伽藍を移し、現在地に建立したものである。
以来、雷火のため数回焼失したが、現在の木造本瓦葺の山門は、天保年間(1830〜44)に再建され、大垣藩十万石歴代藩主の菩提寺の山門にふさわしい豪壮な姿を今に伝えている。
大垣市教育委員会
山門を入ると左手に芭蕉と如水の連句碑があった。
こもり居て木の実草の実拾ははや
芭蕉
御影たつねん松の戸の月
如水
出典は『如水日記』。
元禄2年(1689年)9月4日、『奥の細道』の旅の折、芭蕉は大垣藩家老戸田権太夫(俳号・如水)の下屋敷を訪れ、弟子の路通と共に対顔(如水日記)し、俳諧を楽しみ、翌々6日伊勢へ出立のため餞別に、風邪をひかぬようにと南蛮酒、紙子、頭巾などを贈られて
船町港
から舟で水門川を下った。
平成3年10月、美濃派獅子門道統第三十九世国島十雨宗匠の筆で大垣麗水社中が句碑を建てた。
『西美濃の芭蕉句碑めぐり』
(大垣市文化財保護協会)
戸田如水は大垣藩家老次席。名は利胤。戸田氏鉄の孫。恕水。
元禄3年(1690年)10月9日、没。
九月四日
一 桃青事
門弟ハ芭蕉ト呼
如行方ニ泊リ、所労昨日より
本復之旨承ニ付、種々申、他所者故室下屋ニ
而、自分病中トいへども、忍ニ而初□招之対顔。
其歳四拾六、生国ハ伊賀之由、路通と申法師、
能登之方ニ而行連同道ニ付、是ニも初而対面。
尾張之俳諧者越人、伊勢路之素良両人ニ
誘引せられ、近日大神宮御遷宮有之故、拝ミニ
伊勢之方へ、一両日之内におもむくといへり。今日芭蕉
躰ハ布裏之木綿小袖
帷子ヲ綿入トス。墨染
、細帯ニ布の編服。
路通ハ白キ木綿之小袖。数珠を手ニ握ル。心底難計
けれども、浮世を安ク見なし、不
レ
諂不
レ
奢有様也。
同五日
一 芭蕉・路通、明日伊勢之地
江
越ル由申ニ付、風防之ため、南蛮酒一樽、紙子二表、両人之頭巾等之用意ニ仕候様ニ、旅宿之亭主竹島六郎兵衛所迄申遣畢。
『如水日記』
旭光山円通寺
浄土宗
の寺である。
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