大悲閣(千光寺)〜碑巡り〜
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嵐山から渡月橋を渡り、保津川沿いに行く。

「露営の歌」の碑があった。


勝ってくるぞと勇ましく

昭和13年(1938年)7月7日、建立。陸軍大将松井石根書。

「露営の歌」は籔内喜一郎作詞、古関裕而作曲。

籔内喜一郎は当時京都市役所に勤めていたそうだ。

京都市西京区嵐山中尾下町に大悲閣(千光寺)がある。


大悲閣(千光寺)

 正しくは、嵐山大悲閣千光寺と号する禅宗の寺である。

 慶長19年(1614年)、角倉了以によって、二尊院の僧、道空了椿を中興開山に請じて建立された。了以は、我が国の民間貿易の創始者として、南方諸国(主にベトナム)と交易し、海外文化の輸入に功績を挙げた人物で、国内においては、保津川、富士川、天龍川、高瀬川等の大小河川を開削し、舟運の便益に貢献した。晩年は、この地に隠棲し、開削工事に関係した人々の菩提を弔うため、この寺を建てたといわれている。

 本堂には、了以の念持仏であった本尊の「千手観音像」及び遺言によって作られた法衣姿の木像了以像が安置されている。また、境内には、了以の子、儒学者でもあった素庵が建立した林羅山の撰文による了以の顕彰碑や夢窓国師の座禅石と伝えられる大きな石がある。

 芭蕉の句「花の山 二町のぼれば 大悲閣」でも知られ、京都市街が一望できる客殿からの眺めは絶景である。

京都市

「はせを」の句碑


花の山二町のぼれば大悲閣

「大悲閣」は観世音菩薩像を安置する仏堂のこと。

『風羅袖日記』に「元禄四未」とある。

俳諧一葉集』にも収録されているが、存疑句である。

大悲閣道


大悲閣道を上る。


正面に大須賀乙字の句碑がある。

嵐気動く奥は蝉声晴れてあり

芭蕉の句碑があった。


六月や峰に雲おくあらし山

出典は『笈日記』(支考編)。

元禄7年(1694年)の句。

大正5年10月、建立。

千光寺の鐘楼


木像了以像


客殿からの眺め


比叡山が見える。

中央には双ヶ岡。

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