中尊寺
〜衣川古戦場跡〜
花巻温泉
から東北自動車道に入る。平泉前沢ICを出て国道4号(奥羽街道)へ。
中尊寺
(HP)は
6年ぶり
である。
月見坂を上る。
弁慶堂
夏休みで人が多い。
義経
と弁慶の木像を安置しているそうだ。
寛延4年(1751年)、和知風光は『宗祇戻』の旅で弁慶像を見ている。
宝物品々開帳して愛宕堂に弁慶の御影有
御影さへ六尺弍分ン枯木立
『宗祇戻』
(風光撰)
文政9年(1826年)年、再建。
小杉未醒は弁慶堂を回想している。
奥州では、人の祠堂に像を作る習ひあつたか、前文佐藤兄弟の嫁女の
甲冑堂
もあり、此處でも、金色堂近くの辨慶堂には武藏坊立往生の泥塑、六尺ばかりの大入道の、色黒く逞ましく、分別臭きが、七つ道具を森の如く負ひなし、大薙刀をついて波型を踏んで居る、
『奥のほそみち画冊』
東物見台
後三年前九年役
衣川古戦場跡
前九年の役
陸奥の豪族安倍頼時・貞任
(さだとう)
・宗任
(むねとう)
らの反乱を源頼義・
義家
らが平定した戦い。1051年から62年の12年にわたる。源氏が東国に勢力を築く契機となった。
後三年の役
1083年から87年にかけて、奥羽の豪族清原氏が起こした戦乱。清原氏内部の相続争いが発端であったが、陸奥守として下向した源義家が清原清衡(藤原清衡)とともに、清原家衡・武衡を金沢柵
(かねざわのさく)
に下して平定した。これにより清衡は平泉における藤原三代の基をつくり、義家は東国に源氏の勢力基盤を築いた。
東物見台に
西行の歌碑
があった。
きゝもせず束稲やまのさくら花よし野のほかにかゝるべしとは
観音堂
本堂の前に黄揚羽。
本堂の前の松
天明6年(1786年)1月28日、
菅江真澄
は中尊寺に参詣している。
中尊寺本堂
明治42年(1909年)の再建。
嘉祥3年(850年)、中尊寺は
慈覚大師
円仁によって開かれた。
弘台寿院中尊寺は
東叡山
末寺、当住浄心院。当寺は慈覚大師開基、貞観四年、元禄九マデ八百八十五年ニ成。金堂・光堂是也。
[無都遅登理 五]
天台宗
東北大本山の寺院である。
峯薬師堂
不動堂
鐘楼
芭蕉の句碑
へ。
白山神社能楽殿へ。
山口青邨
の句碑があった。
人も旅人われも旅人春惜しむ
昭和35年(1960年)、建立。
大正14年(1925年)9月27日、
与謝野寛・晶子夫妻
は
十和田湖
から平泉へ。翌28日、中尊寺参詣。
昭和6年(1931年)、
斎藤茂吉
は鳴子、中尊寺、
石巻
、塩釜、松嶋、仙台を巡っている。
妻とふたりつまさきあがりにのぼりゆく中尊寺道寒さ身に沁む
義經のことを悲しみ妻とふたり日に乾きたる落ち葉をありく
歌集『石泉』(中尊寺行)
昭和11年(1936年)6月26日、
種田山頭火
は
石巻
から平泉を訪れた。
毛越寺
旧跡、まことに滅びるものは美しい!
中尊寺、金色堂。
あまりに現代色が光つてゐる!
何だか不快に感じて、平泉を後に匆々汽車に乗つた。
『旅日記』
平 泉
ここまでを來し水飲んで去る
『草木塔』
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