潮音寺〜坪井杜国〜
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田原市福江町原ノ島に潮音寺(HP)という寺がある。


潮音寺山門


隣江山潮音寺


1370年頃の創建だそうだ。

曹洞宗の寺である。

本堂の左手に芭蕉の三吟句碑があった。


麦はえて能隠家や畑村
   芭蕉

冬をさかりに椿咲く也
   越人

昼の空のみかむ犬のねかへりて
   野仁

「野仁」は杜国の別号である。

明治29年(1896年)、晋永機来訪、揮毫を依頼。

明治37年(1904年)1月10日、晋永機は82歳で没。

大正11年(1922年)、万菊社連中句碑建立。

三吟句碑の左下に杜国の墓碑があった。


杜國墓碑と三吟句碑

 杜国は、通称を坪井庄兵衛といい、名古屋の御園町で壺屋という米穀商を手広く営む傍ら、町総代をも勤める豪商であった。

 貞享元年(1684年)芭蕉の「野ざらし紀行」の帰途、名古屋で作られた連句集「冬の日五歌仙」に作者の一人として加わった杜國は、尾張俳諧の重鎮としてその名を馳せていたが、貞享2年、ご法度とされていた米延商(空米売買)の科により、家財没収のうえ所払いとなつてこの地、畠村に移り住み、程なく保美の里に隠棲することになった。

 夢にまで杜國を見て泣いたというほど杜國の天分を愛した芭蕉は、貞享4年10月、「笈の小文」の途中、鳴海より門弟越人を伴い、愛弟子の悲境を慰めようと二十五里の道を引き返し、保美の閑居に杜国を尋ね得た。再会した師弟がそのとき詠みあったのが、この三吟の句である。

麦生えて能隠家や畑村
   芭蕉

冬をさかりに椿咲く也
   越人

昼の空蚤かむ犬の寝かへりて
   野仁(杜國)

 翌日杜國の案内で同行三人は、伊良湖崎に吟行の杖をはこんだ。芭蕉の名句「鷹ひとつ見つけてうれし伊良湖崎」は、このとき詠まれたものである。

 翌年、2月、杜國は伊勢に渡り芭蕉と落ち合い、吉野の花を愛でた後、各地を吟行し5月にこの地に戻ったが、2年後の元禄3年(1690年)3月、望郷の念と吉野の思い出を胸に寂しくこの世を去り、潮音寺原に葬られた。行年30余歳であった。

 現存の墓碑は没後54年の延享元年(1744年)に建立されたものであり、師弟三吟の句碑は、杜國を慕う地元の有志により明治28年(1895年)に造られたものである。

本堂の手前左手に山頭火の句碑があった。


自由律俳人 山頭火 句碑

「あの雲がおとした雨にぬれている」

 行乞(ぎょうこつ)の僧として雨の日も風の日も、ただひたすら歩き続ける山頭火は、雨とも一体となり、自然の中にとけ込もうとする禅の境地がうかがえます。

「波音の墓のひそかにも」

 旅日記によると、昭和14年4月19日、知多半島の師崎より船にて福江港に着き港近くの宿に1泊して、その翌朝、伊良湖岬に向う途中、潮音寺を訪れ俳人杜国の墓に詣でたときに詠んだ句とされています。

 句の選定、揮毫は山頭火無二の親友で松山市在住俳人

 故 大山澄太(当時90歳)

山口誓子の「鷹の句碑」もあった。


鷹の羽を拾ひて持てば風集ふ

平成3年10月27日、除幕。

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