熱田神宮〜草薙神剣〜
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名古屋市熱田区神宮に熱田神宮(HP)がある。


熱田神宮


熱田神宮は延喜式名神大社。

主祭神は熱田大神。

 三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)・御神体としてよらせられる天照大神のことだそうだ。

 草薙神剣の名は、日本武尊が東国において、この神剣により草を薙いで難をのがれたことによる。

 景行天皇43年(113年)、日本武尊、伊勢の国・能褒野(のぼの)にて薨去。

 朱雀元年(686年)、天武天皇の勅命により草薙剣は熱田神宮に奉祀される。

 久安4年(1148年)、源頼朝は誓願寺に生まれる。頼朝の母は大宮司藤原季範の娘である。

 承安4年(1174年)、源義経は金売り吉次と奥州に向かう途中、熱田神宮で宮司が烏帽子親となって元服したという。

 建久5年(1194年)、源頼朝奉幣。

平家の侍大将悪七兵衞景清は熱田神宮大宮司の娘婿だという。

神楽殿


 永禄3年(1560年)、織田信長桶狭間の合戦を前に熱田神宮で戦勝を祈願、戦勝のお礼に土塀を奉納した。

信長塀


 貞享元年(1684年)、芭蕉は『野ざらし紀行』の旅で熱田神宮に参詣している。

 熟(熱)田に詣

 社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに繩を張りて小社の跡をしるし、爰に石をすゑて其神と名のる。よもぎ・しのぶ、こころのまゝに生たるぞ、中々にめでたきよりも、心とゞまりける。

しのぶさへ枯て餅かふやどり哉

 貞享3年(1686年)、綱吉の熱田御修覆(みしゅうぶく)

 貞亨4年(1687年)、芭蕉は『笈の小文』の旅で再び熱田神宮を訪れている。

   熱田御修覆

(とぎ)なを(ほ)す鏡も清し雪の花

 元禄7年(1694年)、榎本其角は熱田神宮で句を詠んでいる。

   熱田奉幣

芭蕉翁『甲子の紀行』には、「社大イニ破れ、築地はたふれて草むらにかくる。かしこに繩をはりて小社の跡をしるし、爰に石をすへ(ゑ)てその神と名乗。よもぎ・しのぶ、こころのまゝに生たるぞ、目出たきよりも心とまりて」とかゝれたり。興廃時あり、甲戌の今は造栄(営)あらたに又めでたし。

更々と称宜の鼾や杉の月
   晋子


 明和8年(1771年)4月9日、諸九尼は熱田神宮に参拝している。

九日 熱田の宮居を拝む。

   垢離とりてけふは涼しく鳴海かな


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