松島〜五大堂〜

天気が良いので、松島へ行く。
松島に日本三景碑があった。

陸奥松島、丹後天橋立、安藝厳嶋、三處を奇觀と爲す。
寛永二十年、日本國事跡考 林春斎
芭蕉は「扶桑第一の好風」と書いている。
抑ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。
『奥の細道』
五大堂へ。

五大堂

五大堂縁起
平安時代初期の807年、坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、828年、慈覚大師が瑞巌寺の前身松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り、五大堂とよぶようになった。
現在の建物は1604年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立した。方三間の宝形造で、四方に勾欄つきの縁を巡らし、正面に向拝をつける。内部に重厚な家形厨子を置き、五大明王を安置する。
有名な蟇股の彫刻など、雄健な桃山建築として、国重要文化財に指定されている。
瑞巌寺
元禄2年(1689年)5月9日(新暦6月25日)、芭蕉は雄島から帰って五大堂を見に行く。
帰テ後、八幡社・五太堂ヲ見、慈覺ノ作。松島ニ宿ス。久之助ト云。加衛門状添。
『曽良随行日記』
明治26年(1893年)7月29日、正岡子規は五大堂に詣でて句を詠んでいる。
五大堂に詣づ。小さき嶋二つを連ねて橋を渡したるなり。橋はをさ橋とてをさの如く橋板疎らに敷きて足もと危く俯けば水を覗ふべし。
すゞしさや嶋から嶋へ橋づたひ