松島〜五大堂〜

天気が良いので、松島へ行く。
松島に日本三景碑があった。

陸奥松島、丹後天橋立、安藝厳嶋、三處を奇觀と爲す。
寛永二十年、日本國事跡考 林春斎
芭蕉は「扶桑第一の好風」と書いている。
抑ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたゝふ。
『奥の細道』
五大堂へ。

井上春蟻の句碑があった。

世の中の櫻おもはす千松島
寛政11年(1799年)3月、建立。
春蟻は江戸南新堀の人。
井上士朗の句碑もあった。

日のくれぬひはなけれどもあきの暮
士朗は尾張守山の人。暁台の門人。
五大堂

五大堂縁起
平安時代初期の807年、坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、828年、慈覚大師が瑞巌寺の前身松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り、五大堂とよぶようになった。
現在の建物は1604年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立した。方三間の宝形造で、四方に勾欄つきの縁を巡らし、正面に向拝をつける。内部に重厚な家形厨子を置き、五大明王を安置する。
有名な蟇股の彫刻など、雄健な桃山建築として、国重要文化財に指定されている。
瑞巌寺
元禄2年(1689年)5月9日(新暦6月25日)、芭蕉は雄島から帰って五大堂を見に行く。
帰テ後、八幡社・五太堂ヲ見、慈覺ノ作。松島ニ宿ス。久之助ト云。加衛門状添。
『曽良随行日記』