
元佐倉道跡 〜四股〜

荒川と中川の間に首都高中央環状線がある。
中川

首都高中央環状線の下を首都高小松川線が交差する。
遠くタワーホール船堀が見える。
東京府南葛飾郡全圖

南葛飾郡は明治11年(1878年)7月の郡区町村編制で生まれた。江戸川区の誕生は昭和7年10月。当時の人口は約10万人であった。
南葛飾郡の中央を旧中川が流れている。まだ荒川と中川は無い。
荒川は放水路ができるまで隅田川となって東京湾に流入していたが、たびかさなる氾濫のため明治44年に改修工事が開始され、20余年の歳月をかけて昭和6年3月に完成した。開削の途中、旧中川遮断することとなり、中川放水路も並んで開削された。
荒川の改修の為、行徳道と元佐倉道の交差点「四股」が川底に沈んだ。
荒川開削前 明治初期の四股

四股橋石造橋桁(部分)

四股橋石造橋桁(部分)
今では荒川の開削によって消滅しましたが行徳道と元佐倉道が十字に交差するところは四股(よつまた)とよばれた交通の要所でした。この橋桁は四股を横切る小川の上に架けられていた橋のものです。架橋当初は板橋であったと想像されますが、いつの頃からか橋下は煉瓦造り、上部は花崗岩となり(石井藤三郎氏談)、現在残っているこの部分は花崗岩でつくられています。現在の所有者増田義男氏宅に移されたのは大正3年頃だそうですが、水没した四股の旧状を知るうえで貴重な遺物です。
江戸川区教育委員会
天祖神社の隣、秋元邸の庭内に四つ股の道標がある。