諏訪神社〜蕪村の俳文碑〜
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八郎潟町夜叉袋一向堂に諏訪神社がある。


諏訪神社の黄葉と落葉


諏訪神社の参道左手に蕪村の俳文碑があった。


 出羽のくによりみちのくのかたへ通りけるに山中にて日暮けれは、からうして九十九袋(やしゃふくろ)といへる里にたとりつきてやとりもとめぬ。

 よすからごとごととものゝひゝ音しけれは、あやしくてたち出見るに、古寺の広庭に老たるおのこの麦を舂くにて有けり。

 予もそこら俳掴しけるに、月孤峰の影を倒し、風千竿の竹を吹いて朗夜のけしきいふはかりなし。

 此おのこは昼の暑をいとひてかくなむなめりと。やかてたちよりて名は何といふそと問へは、宇兵衛と答ふ。

涼しさに麦を月夜の卯兵衛哉   夜半翁

昭和56年12月、建立。

夜半亭は蕪村の別号。

 蕪村は22歳の時に江戸に下り、早野巴人(夜半亭宋阿)に俳諧を学ぶ。寛保2年(1742年)、蕪村27歳の時に宋阿が没し、下総結城の砂岡雁宕のもとに身を寄せる。宋阿のあとを継いだ望月宗屋が亡くなると、夜半亭を継いだ。芭蕉の足跡を辿り奥羽行脚、寛保3年(1743年)、秋田にやって来た。当時は宰鳥と号していた。寛保4年(1744年)、下野国宇都宮で編集した『歳旦帳』で初めて蕪村を号した。

諏訪神社社殿


祭神は建御名方神。

社殿の手前左手に芭蕉の句碑があった。


月いつこ鐘はしつめる海の底

出典は「芭蕉翁月一夜十五句」。

 元禄2年(1689年) 8月15日(旧暦9月27日)、『奥の細道』の旅の途中、敦賀の金ヶ崎で詠まれた句。

寛政5年(1793年)9月、芭蕉百年忌に小夜庵社中建立。

 『諸国翁墳記』に「月 塚 出羽秋田郡昼寝里一向堂アリ 小夜庵社中建」とある。

菅江真澄も諏訪神社を訪れているようである。

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