
VOL 3: 利休道歌
あけまして、おめでとうございます。
昨年の2月にこのサイトを立ち上げてから、あっという間の一年でした。
相変わらず、代わり映えのしない内容で、ご迷惑をおかけしていますが
それでも4500を超えるアクセスを頂き感謝しています。
さて先日のこと、小泉首相が還暦を迎え、引用や例えが好きな首相は、茶人 千利休が詠んだ言葉を披露し、「初心に帰ろうという気持ちで、首相の職責を果たしたい」と言っていました
その言葉は
「稽古(けいこ)とは 一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一」
稽古というのは、まず基本的な部分から習いはじめて、順々に最後までいくものだけれど、そこで終わってはいけない。もう一度、始めに戻って稽古し直す。すると、最初は分からなかったことが見えてくる。
始めは、ただ教えられるままに手足を動かし、丸覚えしていく。
ところが、最後まで習いおわって元に戻ってみると、全体が見えてくる。
自分が何をしているのかが分かってくるから、違った視線で稽古をすることが出来る。
稽古とはそういうものだってことです。通り一遍やってみて、全部終わったからといって満足するのではつまらない。
また一からやり直してみて、初めて稽古をしたと言えるのではないでしょうか。
千利休は、茶道の精神を伝えるために利休道歌(百二首)をのこしました。
利休道歌は茶道に限らず道の付くものにはすべて通じる教えのようです。
百二首全てをここに載せる事はできませんが、もう一首
「規矩作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘るな」 守・破・離です。
(規則は守らなければならないが、例え破ろうとも離れようとも本質を忘れず、臨機応変にしなさい。規律を守り背かずに生きるのはよいが、眼前の事実を前にしてそれらを飛び越えた最良の選択を探し出しなさい。)
規矩作法(きくさほう)
規範、決まりごと、作法は守らなければならない。守った方が良いから、定められているんですね。
けれども、常に決まった通りにしておけば、それで良いというわけではないらしい。規矩作法が定められたその裏には、それなりの理由があるわけで、その本質を忘れてはいけない。本質さえ忘れなければ、作法から離れたことをしてもよい。
いや、いつも定められた通りに事が運ぶなんてことは ありえないのだから、むしろ積極的に規矩作法を破っていくべきなのでしょう(ただし、本質を忘れないように)。
大切なのは本質である。けれども、これが難しい。教えられるままに 作法だけは身につけていくけれど、「どうして、そんな決まりごとが出来たのか?」ということはあまり知らない。
「臨機応変に」って いろんな場面で言われることがあるけれど、自分が何をしているのかも知らないのに、変化に応じられるわけないですよね。
ただ、ぼんやりと 生活するだけではいけないんですね。
この他にも利休道歌には普段生活するうえでなるほどと思うような歌もたくさんあります。興味のある方は一度本などをご覧になってみてください。
あと、不動智神妙録というのもありますね
昔からこの不動智神妙録は剣禅一如の教科書として、剣道家の間では大変有名なものです