タカリュウの小部屋
高田 龍二(たかだ りゅうじ)という人のこと
茨城県土浦市在住,在勤の会社員
1957年9月5日生まれ 52歳 走歴:39年
自称: 元,マラソンランナー 現,鶴沼ウルトラマラソニアンクラブ主宰

24時間走世界選手権 (2004年10月23〜24日,チェコ)
1957年9月 札幌市豊平にて出生
1963年8月 みはる幼稚園を5ヶ月で中退
1970年3月 札幌市立真駒内小学校卒業,真駒内中学校入学
1971年春 中学2年,何を思ったのか突然市民ランナーになる
街中を一人で走り始め,世間から変人扱いされる.当時街中を走っていたのは,クラブなどの集団ばかりで,市民ランナーなるものは存在していなかった.1972年2月 自宅の近所で札幌オリンピックが開催される
日本のオリンピック史に残る,ジャンプの金銀銅メダル独占を生で見る.以後,オリンピックに青春を捧げ,今に至る人生観が形成される.1976年3月 18歳 北海道札幌南高等学校卒業
1976年6月 18歳 非公式の初マラソン
学内の大会「伊豆戸田マラソン」参加.標高差500mの峠越えなど厳しいコース.30km以降ひたすら歩き,3時間49分33秒.マラソンの厳しさを知る.1979年11月 22歳 初めて42kmを走り通す
「伊豆戸田マラソン」2回目の挑戦.歩かず完走を目標に走り通し,3時間3分24秒で完走,6位入賞.大きな感動を得る.1985年2月 27歳 公式の初マラソン
「つくばマラソン」が,筑波科学万博を記念して30kmから42.195kmになる.ろくな練習もせずに参加.30kmを2時間7分で暴走するが,そこで寝る.収容車が来ないので,やむなく3時間35分48秒でゴール.1986年3月 28歳 初めてのサブスリー.つくばマラソン2時間48分36秒
1987年3月 29歳 初めてのウルトラマラソン,霞ヶ浦一周78km
走る仲間8人で,霞ヶ浦一周78km走を企画.この当時42km以上走った経験ある人,皆無の時代.7時間39分で走りきり,大きな感動を得る.
この日が,以後20年間50回の大会に発展する「鶴沼ウルトラマラソン大会」の始まりとなる.1988年3月 30歳 初めての100kmマラソン
第4回鶴沼ウルトラマラソン大会で100kmの部創設.サロマ湖100kmに遅れること1年8ヶ月.8時間44分48秒で完走.残り5kmで,感極まり涙が流れる.1987年〜1989年 29-31歳 すべての種目で生涯の自己最高記録を作る
1500m 4'23"4, 5000m 16'02"4, 10000m 33'56"0, 21.0975km 1゚13'40",
42.195km 2゚35'14"(1989勝田), 100km 7゚33'18"(1989サロマ湖)1993年6月 35歳 初めての100kmを越す本格的ウルトラマラソン,飛騨168km
数々の峠越えに全身ズタズタになりながらも,19時間40分で完走.以後,1999年まで6回出場すべて完走,最高記録は19時間20分.2000年9月 オリンピック女子マラソンだけを見に,シドニーまで2泊で行く
陸上競技戦後初の金メダルを生で見る.競技場に高橋尚子が入ってきた瞬間の,10万大観衆総立ちの大声援に鳥肌が立つ.
日本のオリンピック史に残る金メダルに,生涯で2回立ち会うという幸せ者.2001年4月 43歳 初めて200kmを越える,さくら道266km
200kmを越すウルトラマラソン初挑戦.予想に反して34時間33分で走りきってしまう.ゴールが見えたときは涙が出てしまう.2002年4月 44歳 2回目のさくら道266km
怪我で2ヶ月半ろくな練習ができず,ボロボロメロメロ悲惨な状態になる予定で参加.が,奇跡が起きたか前年より18分遅いだけの34時間51分で走りきってしまう.「世の中,こんなことがあってはいけない」と思っている.2002年9月 45歳 スパルタスロン245km初出場
多くの関門,制限時間,夜中のサンガス山越えなどが厳しく,完走の不安いっぱいであったが,予想以上の31時間53分で完走.この完走は素直にうれしい!
サンガス越えのAM2から,AM8まで,胃腸不良下痢下痢絶不調絶望的心境に.制限時間の36時間も危うい状況におちいるが,「これは復活するしかない!」と念じたら,本当に復活.残り62kmを6時間50分で激走.2003年4月 45歳 3回目のさくら道266km
筑波山トレーニングを4ヶ月間繰り返し,前年までのさくら道,スパルタスロンとは違う走りができるはずと,秘かに自信を持って臨む.自己記録を3時間18分破る31時間15分という結果に自分でもビックリ.おまけにトップゴールで気分最高.2003年7月〜11月 45-46歳 24時間走にはまる
7月あきる野24時間走,24時間走初出場195km.10月24時間走世界選手権大会サポーターとして奮闘,大きな感動を得る.11月学芸大24時間走,227km自己新.
詳細は,「タカリュウの24時間走 2003」.2004年3月 46歳 台湾での「24時間走アジア選手権」日本代表として出場.が,209.41kmで沈没.それでもしぶとく5位入賞,2700元(約9000円)というかわいらしい賞金をもらう.
2004年5月 46歳 ランナーズ7月号の「新快走人生」2ページで,タカリュウと鶴沼が紹介される.長年の地道な活動が認められたようで嬉しい.
2004年10月 47歳 「24時間走世界選手権大会2004」10月23〜24日,ブルノ(チェコ).6人の日本代表にめでたく入る.一生に一度のチャンスと思い,がんばる.
世界のそうそうたるメンバーが集まる中,229.862km(自己新)93人中13位という,自分でもビックリの結果を残す.国別対抗での団体戦では,16カ国中2位で銀メダルをもらう.2005年7月 47歳 「24時間走世界選手権大会2005」7月16〜17日,ヴェルシャッハ(オーストリア).今年も9人の日本代表にめでたく入る.
目標の230kmには遠くおよばなかったが,最後まで一度もあきらめない走りで,221.579km(24位/120人)で,自分としてすごく満足する走りができた.
2006年8月 48歳 とうとう鶴沼が第50回大会をむかえる.50回記念に深夜0時スタート制限時間18時間の夏の100kmを開催.
20年間50回の間には「止めたい止めたい」と毎回思っていた時期もあり,よく20年間続けてこられたなと自分自身感慨深い.自分を誉めまくる.
50回大会ということでランナーズの取材もあり,ランナーズ11月号に3ページの記事となる.2006年12月 49歳 鶴沼のレースディレクターとしてランナーズ賞を受賞.長年の地道な活動を認められて,ものすごく嬉しい.
おまけ : タカリュウの高尚な論文掲載 (機械系の専門用語も若干混じっています)
【建設機械の疲労試験と,人体の疲労試験に関するひとつの考察】
(社)日本建設機械化協会誌: 「建設の施工企画」 2007年3月号掲載以上,2001年11月24日,記
2002年10月12日,2003年5月10日,2004年1月5日,2004年9月23日,2004年12月31日,2005年10月1日,2006年11月24日,2007年3月11日改訂