こぼれ話集

「パイパーズ掲載に当たって」・・・の巻

*私の「本」に関する記事がパイパーズに掲載されるにあたって、昔(十年以上前)同誌上で
大きく取り上げられた「吹奏中の気流は声帯で調節していた!」に始まる一連の「声帯論争」について、私の考えを再度確認しておきたいと思います。
今回パイパーズ編集部のご厚意により、バックナンバーをお持ちいただき、正確に当時の記事を再び確認することが出来ました。有り難うございました。
以下はパイパーズにお送りした私のメールを基にまとめたものです。

 例の「声帯論争」は編集部側で上手くまとめられていると思います。
その中で、「・・・私たちが吹奏時の声帯を仮に訓練してコントロールすることは出来ないのだろうか?」とありますが、《やり方によっては出来ますよ!》と言っているのが私であり、フリードリッヒさんなのです。それがヴォイシング(アンザッツ)です。ただし、喉だけで出来ることではありません。横隔膜(呼吸法)との関連を忘れては成立しません。

私としては「声帯」と「管楽器吹奏」の関連を論ずるときに、当時、何故「歌唱発声」の知見、研究を度外視されたのかが分かりません。それを視野に入れて、実際にまともな声を出して、楽器を吹いて、という繰り返しを何故してみなかったんですか?と聞いてみたい気持ちで一杯です。そうすれば無用の摩擦を避けられたのでは・・・せっかく良いところに目がつけられたのに残念です。

先ず気がついたことは、当時、貴誌もM氏もM先生も「喉が開く」という言葉と「声帯が開く」という言葉を同じ意味で使っておられることです。これは実は困ります。

一般に声楽界で「喉を開く」と言った場合、《喉頭外筋が働いて喉仏が地声状態の位置よりは下がる》《声帯が地声状態より前後に延びて長い状態で閉じる》という意味です。
「喉頭外筋」の働きは「呼吸筋」の働きと連動します。喉頭は呼吸器官の一部です。
「オープンスロート」とはそういう意味です。声帯が開いたら声は出ません。
もともと「喉を開く」という言葉は声楽界から来た言葉です。
管楽器界でもその意味をを分かって使っている人とそうでない人がいます。
ですから混乱してしまいます。
私は「本」でもHPでも声楽界と同じ意味でこの言葉を使っています。

したがって、管楽器奏者の上手い人は「声帯が閉じている」というのは、全くそのとおりで私の知見と一致します。異議なしです。《歌うように吹く》というのは《たとえ話》ではありません。
ただし、私は歌唱発声時の声帯と管楽器吹奏時の声帯の類似性に着目して危機を脱出し、指導上の好結果を得て「本」を書いたものですから、その時の声帯の長さは?位置は?リラックスは?という事が気になります。ところが、この事には残念ながら言及されていません。
声楽家にとっては《閉じるときの声帯の位置、長さ、リラックス》は生命線なのです。
地声状態の位置、長さでオペラ、リートを歌う声楽家を思い浮かべてみてください。
ところが、大変面白いことに、管楽器吹奏時にも喉が地声状態だと音が固くなったり、細くなったり、詰まったり、その他弊害が続出します。どんな管楽器でも同じです。ここがポイントです。

もうひとつ、当時、貴誌では《息を吸うときに横隔膜は下がる、吐くときには上がる》という前提で話が進んでいることです。この状態を発声学では「純粋呼気」と呼びます。
管楽器でも歌でも上手い人は《吐くときに横隔膜はすぐには上がりません》これを「吸気的傾向」とか「対応運動」と呼びます。(私の造語ではありません)いわゆる「下腹の支え」、貴誌の最近の記事で言えば、エリック宮城さんの身体に起きている良い現象です。
この時《喉は地声より低い位置で伸びて閉じる》ことが出来るのです。
人によっては《吹くときに鳩尾を突き出せ》とか《対抗圧力》とか言います。
私はその様に表現すると生徒の上体に力が入ってしまうので、素直に「対応運動」と呼んでいます。
これがアンブシュアにも決定的な影響を持ちます。すなわち《閉じている、あるいは閉じようとしている上唇のリラックス》の為の基本的条件ですね。

この《横隔膜と喉の関連性》について、M氏は「・・・調節機能が喉以外にもあって、下腹部あたりではないか・・・」と述べられ、M先生は「どうも連動しているようですね。ゆるく吹いているときは喉頭だけで、強い息の時は腹筋も使うということでしょうかね。」と述べられています。
私に言わせれば、この「連動」こそが大切なポイントです。
むしろ実感から言えば《ゆるく吹いているときこそ対応運動(下腹の支え)が必要》なのです。
ですから、人によっては「ピアニッシモの時こそ深く吸え」と言ったりします。そうでなければ上体、喉に力が入ってしまいます。
M氏は「下腹の支え」のことを「下腹あたりに力を入れる」と表現されていますが、私はこの「力を入れる」という表現が危険だと思っています。
《下腹の腹斜筋の収縮》を《力を入れる》と表現すると、本当に力を入れて力む生徒が続出します。
上体がリラックスした状態で呼吸運動を行うわけですが、これを腹斜筋、臀筋、脊椎伸筋が支えています。「支えよう」とした時は自然に収縮するのです。弛緩と収縮でバランスが取れています。
呼吸筋、喉、アンブシュアの連動を考慮に入れるべきだと考えます。

M先生は一方で、横隔膜神経の活動記録から《横隔膜は呼気時には動かない、コントロールできない、積極的に関与しない》と述べられていますが、矛盾しませんか?《コントロールできない!》と誰が決めたんでしょうか?喉、アンブシュアとの連動を利用して、上手く指導すれば
《コントロールのコンぐらい》の事までは中学生にも可能です。
仮に強い息の時だけでも腹斜筋を使う奏者がいたとしたら、それはそれで呼気時に関与しているではないでしょうか。M先生は対応運動が起こるぐらいのレベルの奏者の横隔膜神経の活動記録は調べられたのでしょうか。気になるところです。《横隔膜自身の収縮なければ関与なし》と決めつけられるでしょうか?呼吸法に関する古くからの「役に立つ言い伝え」や我々の実感とはかけ離れています。

吸うときにいったん下がった横隔膜がすぐには上がらないで、むしろもう一度下がろうとするので「吸気的傾向、対応運動」と言うわけです。その時に起こる出来事が「下腹の腹斜筋の収縮」です。私はこのことが「無理なく下気道圧を高めること」に繋がると考えています。
横隔膜は吸う時だけに(収縮時)反応を示すのはわかりますが、それ以外の呼吸筋で対応運動が起こっているとしたら横隔膜神経を記録していても現れませんよね。
呼吸筋への科学的アプローチは、まだまだ謙虚にみんなで推し進めるべきだと考えます。

N教授の「下気道圧と口腔内圧はパラレルの関係にある」「下気道圧が高まるときに声帯は閉じる」というのが分かりやすいですね。ただし、奏者はそれを無理なく、上体の力みに頼らずに行いたいわけです。上体が力んでいる生徒に限って「力みの自覚」がありませんよね。
《ヴィヴラートを横隔膜でかける》と言った場合、《上腹部を動かしてかける》事を連想しますが、そんなことは出来ませんし、やろうとしても危険で無駄です。
そうではなくて、対応運動が起こっているレベルの奏者ならば《歌うがごとく》吹いて、《歌うがごとく》かけることは練習によって可能です。M氏自身にしてからがヴィヴラートに限らず「歌えなくてはダメ」とおっしゃっています。

しかしその声帯は《自律的か?》と聞かれれば、私は「声帯だけでは不可能」
と言わざるをを得ません。
喉と呼吸筋はベルカントモードから言えば「連動」しているからです。
また、M先生はノンヴィヴラート状態とヴィヴラート状態の声帯を比較なさった形跡がありません。
二つの状態を比較検討した解説が欲しかったところです。
というのは、VTRで動きを見れば、上手な人はノンヴィヴラート状態でも気流の通過に応じて声帯は軽く揺れているはずです。何故ならば、上手な人は声帯の力が抜けているからです。閉じてはいても隙間はあります。声は出ません。
ところが、下手な人は声帯は開いてしまっているばかりではなく、力が入っているので気流が通過しても揺れません。演奏時の喉が不自由な生徒に限って、「自分の喉は自由だ」と思っています。

ヴィヴラートの研究から出発して《管楽器吹奏時に上手い人の声帯は閉じている》という現象に出会ったのは良かったけれど、「気流はすべて声帯が調節する、横隔膜は関係ない!」というところまでエスカレートする必要はなかったのに・・・残念な気がします。
私に言わせてもらえれば、《上手い人は歌うように吹けるのだから、声帯が閉じるのは当然のことです。冷静に、謙虚に、みんなでもっと前にいきましょうよ》と申し上げたいところです。



「アパチュアから考える人」・・・の巻

金管楽器を吹く人にとって大変大きな影響力を持っているのが例の「金管楽器を吹く人のために」という本です。
この本は私にとっても思い出のある本のひとつです。昔、昭和41年の冬(1月)だったと思います。
当時、アメリカのブラス専門誌で最も評価の高い理論書として紹介されていました。
しかし、訳本がないので自分で訳すしか方法はありませんでした。一冬かかって訳してみたのですが、感動の連続であった事を覚えています。コーヒー缶と布袋にたとえながら口のまわりの筋肉の働きを説明したり、とにかく合理的でわかりやすい説明に溢れていました。
やがて訳本が出版され、理論書の定番となったのはご存じのとおりです。

しかし、やがて私は行き詰まってきました。わかりやすいという事と、また別の問題がそこにはあるからだと思います。それがアパチュアの問題です。少し引用します。
「・・・この唇の間の小さなすきま(opening)は気柱の振動を完全に支配し、ひいては金管楽器の演奏能力を左右する決定的要素となる。本書でこれまでに述べられたアンブシュアのルール、提案、練習方法はすべて、出来るだけ完全な唇のアパチュアを形づくるという一事だけにしぼられたものであった。」とあります。そしてそこから縷々説明が始まります。
すなわち《完全な唇のアパチュアを形づくるという事》が《目的》とされています。
私はそれを《目的》ではなく《結果》としてとらえた方が上手くいくと考えています。
アンブシュアの諸問題はアパチュア云々の前に《マウスピースの中の上唇がどうあって欲しいのか?》と考えた方が実践的であると思っています。すなわち《高い音域でも上唇が固くなってしまわないためにはどうあるべきか?》という考え方のほうが役に立つと思っています。
その際に「耳」があれば、それは「粘膜依存型」アンブシュアで楽器を鳴らすことではないこともわかってきます。
ちなみに声帯は「声唇」とも呼ばれていますが、声帯のアパチュアから発声を説明する先生はいません。《声帯の状態がどうあるべきか》を説明する先生はいます。

ところが、吹奏楽指導者、その他ネット上でもさまざまなところで、アパチュアから説明しようとする話が沢山あります。「果たしてこれで行き詰まらないのかな?」といつも思っています。ただ単に私がバカだから行き詰まっただけかもわかりません。
しかしアパチュア論はこう続きます。引用します。
「上行のパッセージでdiminuendoする場合は、上昇を通じて唇の徹底的な緊張が必要である。」反対に「下行のパッセージでcrescendoする場合は下行を通じて唇のアパチュアを徹底的に広げることが必要である。」とあります。
これはキケンな話ですよね。少なくとも指導論とはなりませんよね。
しかし実際日本ではこのアパチュア論が吹奏楽部の大多数の子供を支配しているようです。
《わかりやすい話》が必ずしも《つぶれない話》ではないと思っています。

ただし、ファーカス氏はこうも述べています。
「しかし、なんといってもアンブシュアのアパチュアの善し悪しを決めるには、耳がいちばん頼りになる。もちろん、非の打ちどころのない演奏が出来るのなら、何もアンブシュアにおせっかいをやくことはない。」しかし、おそらくこの部分を気にとめる人は少ないでしょう。
「わかりにくい話」のひとつでもあるからです。
それよりも延々と続く「わかりやすい話」のほうが心をとらえて離さないでしょう。

皆さんはいかがお考えでしょうか?



「先駆者と何とか医者」・・・の巻

 *もうずいぶん昔にイギリスで出版された本ですが、「アンブシュア」(モーリス・ポーター著 全音楽譜出版社)という本があります。著者は解剖学、生理学の分野の専門家であって、アンブシュアの研究を続けた人です。例のフィリップ・ファーカスの本もこの本の成果を取り入れています。

管楽器演奏にかかわるさまざまな部分の解説をしています。「喉頭」については実に興味深い解説をしています。私を含めてこの本の読者は当時あまりここに注目しませんでした。
これは読者だけを責められない面もあります。
喉頭、声帯を息の流れに対する《抵抗点》としてとらえているからです。
この部分を息の流れの《抵抗点》としてではなく、より積極的な《構成要素》としてとらえていれば・・・と惜しまれます。喉頭は呼吸器官の一部だからです。
しかし、今の時点で見てみるとこれは立派な「先駆け」と言えると思います。

少し引用してみます。
《・・・ほとんどの教師が、「吹いている時は歌っているつもりになりなさい」と生徒に教えるところから見ると、賛成意見の方が多いようだ。少なくとも、ささやき声をはじめとしてどういう音声を喉頭から発するにせよ、息の流れには何らかの抵抗を加えて声帯に振動を起こさせなければならない。中略・・・先に言及した管楽器奏者の主張するように、教師が、「歌う気持ちで演奏する」とか、それを喉頭の役割と関連づけるとかいった指導をする事の重要性については、まだ説明が不十分であると思われる。
”発声状態にない”声帯が発振体(木管のリードまたは吹口の縁に当たる空気の流れ、あるいは金管での唇)を助けて、演奏中に発せられる音を「ほとんど歌っているような」感じにさせる事さえ→まだ科学的研究で証明されてはいないが←完全に可能なのである。
管楽器演奏での喉頭の役割は、上手く表現できないが”疑似発声”または”補助的発振体”、あるいは本書で先に述べたように”補助的共鳴体”といってよいだろう。》
この本の著者は、他の部分の説明でも声楽発声における例の「共鳴腔」幻想に惑わされているので、
《”疑似発声”である!》とはっきり言い切っていない弱さはありますが、これは当時としては仕方のないことと思われます。

しかし、医療用の検査器具、装置といったものが今ほど発達していなかった当時の状況で、ここまではっきりと述べています。この発言はもっと注目されてしかるべきだったと思いませんか?
もっとも、医療用の検査器具、装置が発達していたとしても、「耳」「発想」「経験」「知識」がなければ役に立たないので同じ事ですが・・・

先日会ったあるフルート奏者は鼻からファイバースコープを入れて調べたそうです。
そして、お医者さまのご託宣が下ったそうです。「上手な人はもっと声帯の隙間が開いています、もっと開くようにならなければいけません!」
このお医者さまは有名な歯科医だそうです。皆さん気をつけましょう。お医者さまだからといって正しい事を言うとは限りません。時にはこのようなお医者さまもいらっしゃいます。
このお医者さまはどれだけ管楽器演奏の経験と知識があって、どれだけ声楽発声及び、喉頭、声帯のしくみについて学んだのでしょうか?

一方、ティボーさんやフリードリッヒさんは、喉頭における「頭声」の状態が持つ意味をいち早く提唱して、指導や演奏に生かしています。決して「禅問答」の世界でも「何とか医者」の世界でもありません。
知ったかぶりの医者がいる反面、自分に分からないことは何でも「禅問答」とか「宗教的、精神的概念」にしてしまう人もいます。残念なことですね。分かるまで勉強すればよいだけの話です。

私は「頭声」だけでなく《全部の音域を「ベルカントモード」で!》と言っているだけです。
「頭声」はもちろんの事「胸声」と「地声」の違いをはっきり認識しないと困ったことになりまよ。と言っているだけです。

皆さんはいかがお考えでしょうか?



「地声モード」と「ベルカントモード」の巻                               

 二つの面白い話を聞いたことがあります。                                 声楽科出身の音楽の先生が生徒の中にとても声の良い子を見つけました。
しかしその子は吹奏楽部でトランペットを吹いている子でした。そこでその先生は言いました。
「君、ブラスなんか止めなさい!ラッパなんか吹いていると声が悪くなってしまうんだよ。
君はせっかくいい声しているんだから止めなきゃもったいないよ!」

とても上手なソプラノの学生さんがいました。友達がその人に聞きました。
「あなたはどうしてそんなに上手になったの?誰先生についたの?」その学生さんはちょっと間をおいて
こう答えました。「誰先生というよりも私は中学時代にトランペットを吹いていたんですけど、
それが一番良かったと自分では思っています。」

何気なく聞いただけでは矛盾する二つの話ですが、二人の言葉はでたらめではありません。
共に経験から出た言葉ですが、内容には根拠があります。
そしてなによりも我々管楽器の人間に大変大事なことを教えてくれています。
私の「本」を読んで下さった方々はもうお分かりですよね。
それが「地声モード」と「ベルカントモード」のちがいなのです。

歌の先生があのような言い方をしたのはよくわかります。「地声」の喉の状態で長期間管楽器を吹き続ければ、
当然声も悪くなるのに決まっています。私にも経験があります。
しかし一方で「ベルカント」状態(広義の)で吹いていれば逆に声も良くなります。
良くなるというのが言い過ぎとしても、少なくともバランスが良くなって歌声が出しやすくなります。
私のところへ時々呼吸法の質問にやってくる木管楽器の学生さんが言いました。
「このごろなんだか知らないけど歌声が楽に出るようになりました!」

最初の「こぼれ話」で扱った、いわゆる「上手なトランペット吹きの喉」がベルカントモードの喉なのです。
しかし吹奏楽部員の中で何人の人が「自分の喉は楽になっていないなあ」とか
「不自由だなあ」とか感じているでしょうか?
ほとんどの人が「自分の喉は楽で正常だ!」と思っているようです。

それは医学的には「正常」なんでしょうね。しかし音楽的にはどうでしょうか?
そこに目を向けるといろいろとわかってくることが沢山あります。
喉なんて管楽器を吹くのにそんなに大きな問題ではないと多くの吹奏楽部員が思っています。
しかし一方で「呼吸法」は大事な問題だと思っています。これは全くもって矛盾した話です。

「どんな呼吸法であるか」という事は「どんな喉になって欲しいか」という問題でもあります。
この二つを分けて考えることは出来ません。もちろんそれがアンブシュアの問題にもつながっていきます。

しかし吹奏楽コンクールなどを聞きに行くと、地声モードで怒鳴りあげても平気なバンドはいくらでもあります。
「モード」のちがいは先ず「サウンド」のちがいとして表れ、その結果として音楽表現にも
大きな影響を与えていますが、吹奏楽ではそのちがいを区別していないようです。
「金賞」になったり「一等賞」になったりします。

「区別しないでも平気なのかなあ」「やがてつぶれて吹けなくなってしまうのに・・・」と思ってしまいます。
しかし「青春時代の思い出だから、楽しければそれでいいのかもしれないなあ・・・・・」と思いつつ
私は家路をたどります。  

長期間にわたって「地声モード」では吹けません。特にラッパはつぶれるので切実です。
木管の場合は汚くてもなんでもとりあえず音は出ます。でも確実に衰えます。
あのソプラノの学生さんは中学で良い先生にめぐり会えて良かったですよね。
皆さんはどうお考えですか?



「会議室から」の巻                                               
 会議室に大変面白い投稿がありましたのでここでご返事します。                                   
《昨日あるラッパの先生から次のような質問を受けました。
「歌の場合は対応運動が必要なのはわかるけど、ラッパの場合は唇のアパチュア で息の流れを
コントロールできるからはたして対応運動は必要なのかなあ」というのです。
私は対応運動は主体的に息の流れをコントロールしているのではなく、喉が下がって声帯が延びる、
つまりアンブシュアが閉じてリラックスするための必要条件ですよという説明をしました。その上で、
対応運動はフレーズによって、緩やかなときもあるし、強烈に起こるときもあるし、
受動的に起こるという説明をしましたが、いかがでしょうか。
 また「トランペットの場合ベルカントモードが当てはまっても、テューバのような最初にたくさんの息を
必要とする楽器にも当てはまるのか」という質問にはちょっと驚きました。
それは全くの誤解で、テューバだってアンブシュアがリラックスして閉じていれば長いフレーズもふけるし、
呼吸法を語るうえで分けなければならないような息の量の違いは全くないと答えましたが、
よく管楽器を全く知らない指導者が、「テューバは管が長いから音がなるまで時間がかかるので早めに吹け」
と言っているのと同じようなことだと思うのですが、先生の意見はどうでしょうか。》

「吸気的傾向」とか「対応運動」とか呼ばれている現象は、息を吐いているにもかかわらず横隔膜が上がらない、
むしろ更に下がろうとするような現象を指しています。ところが、喉に力が入っていると、
更にいえば前回のこぼれ話で書いたような喉になっていなければ(上手なトランペット吹きの喉)
この現象が起きないのです。いわゆる「支えられた息と喉の関係」です。
そのとき唇は閉じているにもかかわらず固くならないのです。この三つの現象がワンセットになっています。
そういう意味であなたの答えは間違ってはいません。そしてあなたの次の答えも全くそのとおりです。
フレーズによって横隔膜にかかる息の重さが違いますから、「運動」には強い弱いがあります。
そして私なら次にこう質問します。「唇のアパチュアでコントロールしている息の流れ」とは
どういう性質の息の流れなんでしょうか?
その元々の息の「性質」が問題なのです。すなわちどういう体のバランスから生み出された
「息の流れ」なのかということが問題なのです。というふうに言ってみます。

それにしても面白い発言ですね。「歌の場合は対応運動が必要なのはわかるけど」って、
「どこがわかるの?」「どうしてわかるの?」とツッコんでみたくなりますよね。
声楽家は喉に力が入ったら困るけど管楽器奏者は喉に力が入っても困りませんか?
声楽家は舌に力が入ったら困るけど管楽器奏者は舌に力が入っても困りませんか?
声楽家は唇に力が入ったら困るけど管楽器奏者は唇に力が入っても困りませんか?
そして声楽家にもラッパ吹きにも横隔膜はあります。身体の仕組みは変わりません。
またこの事が次のチューバに関する答えになっています。

チューバ吹きにもフルート吹きにも横隔膜はあります。そして楽器によってうまい具合に
マウスピースがちがっています。もし「ラッパのマウスピースでチューバを吹け!」とか
「ピッコロのマウスピースでフルートを吹け!」と言われたら特殊な息の使い方が
必要になってくるかもしれませんけどね。

実に沢山のバンドの生徒や学生さんに会ってきました。
どんな楽器でもうまくいった場合は横隔膜は同様な反応をします。
おっしゃるとおりで、そんなこと言ってる指導者はまともなチューバ吹きに出会ったことがないんでしょうね。
もし出会っても偉さが分からないと言ったほうが正確かも分かりませんが・・・

横隔膜、喉、舌、唇は連動しています。しかし強い連鎖関係にあるものと、
注意深く観察しないと分からないものとがあります。息を使う演奏家にとって先ず分かるのは横隔膜と喉の関係です。
しかしここにも落とし穴があって、いろいろ誤解が生じる部分です。喉と舌の関係はすぐ分かります。
喉と唇の関係はちょっと注意力が必要です。この部分は声楽家のほうがむしろ体験的に良く知っています。
私の場合、喉、舌、下唇は気流をコントロールしたり、揺らしたりする事に関わっていると思っています。
そう考えれば呼吸法について理解しやすいと思っています。
そこで助けてくれるのが耳です。くわしくは本を読んでさらってみて下さい。
皆さんはどうお考えですか?   


「鼻からファイバースコープ」の巻  

「本」の最初に次のように書きました。                                    
《喉を「オープンスロート」にするということは喉だけで出来ることではなく、「呼吸法」の助けがなくては出来ないことなのです。したがって、良い「アンブシュア」のための「オープンスロート」は良い「呼吸法」から生まれるということになります。この三つの事柄は実は密接な関連性を持っているのです》                 《「喉を開く」という事と「声帯を開く」という事を混同しないで下さい。今までに聞いたことのあるアドバイスも
沢山出てくるはずですが、その正確な意味を理解するようにして下さい》

「喉を開く」(オープンスロート)という言葉は誤解されやすい言葉でもあります。
もともと歌唱発声のなかで使われていた言葉をそのまま使っているからです。
声楽で「オープンスロート」「喉が開いている」と言う場合。喉頭外筋がはたらいて
声帯が前後に長く伸びることをいうのです。
声門が開く(声帯が左右に開く)事を言っているのではありません。

声帯に関する面白い写真が十年ぐらい前に管楽器専門雑誌に掲載されたのですが、
その先にもっと面白い話があるのにもかかわらず、何故か議論が発展しなかったのです。
それは、(上手な管楽器奏者とそうでない管楽器奏者の喉の状態を調べるために、たくさんの管楽器奏者の
鼻からファイバースコープを入れて撮影したところ、上手な人は声帯が閉じて隙間は狭くなっているのに、
そうでない人は声門が広く開いている)という写真なのです。
記事では何故か「閉じている」ことだけが強調されていました。
アメリカでもトランペット奏者を対象に全く同じ調査が行われ、当然の事ながら全く同じ結果が出ました。
ネット上でその事を読まれた方もおられるようです。
これに関連して大変興味深い映像もあります。それは、熟練したプロのトランペット奏者と、
初心者の生徒の声帯の様子を比較したものです。
熟練したプロ奏者の場合、演奏時に声帯の力が抜けているので、気流の通過に応じて
その声帯が震えているのがはっきりと分かるのに対して、初心者の生徒の声帯は硬直しているので、
気流が通過してもピクリともしないのです。
演奏者は共に自覚していないこの現象が、我々に大きなヒントを与えてくれています。
熟練したプロ奏者の声帯は閉じているだけでなく、リラックスしているのです。

これが歌唱発声で言う「喉が開いた状態」なのです。慣れると当たり前のことのように感じますが、
初めて経験すると、広い喉空間の中に「声帯」があるような感じがするので
「喉が開く」という表現になるのだなと感じます。(その先がありますが)
もちろん力ずくで行うことではありません。「歌うように吹く」というのはこの事なのだなと分かります。
この時喉の位置は地声よりは少し低いところにあって、声帯は閉じながらも余分な力はありません。
雑誌に載ったせっかくの面白い記事が、その後議論があまり発展していかなかったのは大変残念なことでした。
歌唱発声についての知識、経験、ヒント等があればもっと議論が発展したことでしょう。
もっとも、議論が発展していれば私が「本」など書く必要はなかったかもしれません。(笑)
皆さんはどうお考えですか?          


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