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「フレーズ吹き?」 「一拍吹き?」
「息の流れが仕事をする」という言葉は「息の量」が仕事をするとか「息のスピード」が仕事をするという意味ではありません。先ず第一に息の流れが空気の波になり音になるという意味ですね。もう一つは音符をフレーズとしてとらえて吹くのであって、一拍ずつとらえて繋いでいけばフレーズになるという意味ではないという事ですね。チコーヴィッツのエチュードをさらった方はおわかりと思いますが、歌手の為に書かれたヴォカリーズ(母音唱)から入っていきます。短いフレーズから始まってだんだんとん長いフレーズになっていきますが、フレーズですからそれぞれを一息で吹きます。名手クラークの言う「ロングトーン」はベルカントの「長い息」という言葉本来の意味をきちんと押さえていて、その意味をチコーヴィッツも分かった上で書いている事が分かります。吹奏楽部の生徒達が時計をにらみながら「単音を出来るだけ長く延ばした人の勝ち」みたいな練習とは違っていますね。単純に「息の量」とか「スピード」とかを競っているわけではありません。
意識・イメージが身体のバランスを決めますが、一拍吹きをしている生徒は音楽表現が不自然であるばかりでなく、身体的にも不自然な力みが加わります。この後遺症はかなり後まで響きます。
クラークもチコーヴィッツもその当たりを分かっているのであのようなエチュードを書かざるを得なかったと思います。
先日行われた「中高生の為の管弦打楽器ソロコンクール」本選会の中学生金管部門でグランプリになった生徒は一年生のチューバの生徒でした。背の高さもまだまだこれからで小さな身体でしたが、きちんと響いた音で吹いていました。もっと大きな生徒ばかりでしたから、「息の量」とか「スピード」は関係なかった事が分かります。息の流れに音を乗せているわけです。唇を息の力で鳴らしてやろうというような吹き方ではありません。楽に楽器が響いています。こういう生徒が多くなれば吹奏楽の世界も随分違ったものになるだろうなと思いながら聞いていました。
唇が仕事をするという先入観があると、とりあえず開いて吹けば音が出るのでそのまま唇で歌おうとします。その結果、息に関しては「量」とか「スピード」しか気にならないのでしょう。フレーズを吹くという感覚から来る身体のバランスは息の流れに響きを乗せるという吹き方になります。このあたりの事が指導者に分かっている必要があるのですが、残念ながらそれほど常識とはなっていないようです。先日もまた「強制深呼吸」によって気胸になってしまった被害者からメールが届きました。闇然とさせられます。指導者はまだまだ危険な事を教えているようです。
皆さんはどの様にお考えですか?
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