追悼     ジョン・コフーン博士の追憶

 本年3月23日、ニュージーランドのジョン・コフーン博士が物故された。
周知のとおり先生は、フッ素研究の世界では際立った存在であり、研究や講演を通じた先生の足跡は文字通り世界中に残されている。わが国へも本研究会の招待で二度講演し、逝去数カ月前にも、病躯を押してロンドンやチリーで講演をされている。人類的な立場からフッ素の害を啓蒙するその情熱を思うと、まことに慟哭の思いを禁じえないものがある。ご遺族に対してここに謹んで哀悼を意を表するとともに、先生に親しんできた者として改めて先生の足跡を追想する次第である。
 
 先生はもともとニュージーランド、オークランド市の歯科保健を主管する立場にあった方で、私たち30〜35年前に歯学部の学生だった者が、歯科衛生の先進国のモデルとしてよく講義で聞かされた、いわゆるニュージーランド方式(学童期のうちに初期ウ蝕を軽い充填で徹底的に処置する事で重度虫歯の発生を完全に押さえ込む)の学校歯科の充実に尽力された。それが発展して水道フッ素化による予防という思想が唱導されるや、ニュージーランドで先生がその中心に位置されるようになったのも自然の成り行きだったであろう。先生の言によれば、先生は熱心なフッ素化推進者となりその実施に邁進されたという。しかし、それが先生の苦闘の出発点になった。
 ニュージーランドのフッ素化が開始されて相当の年数が過ぎたある年に、その実績の評価と他国の実情の視察のため、先生は世界旅行に出掛けられた。思ってもみなかった事であったが、その旅行は先生に苦しい思索の転換を迫るものとなった。先生は世界中でフッ素の被害を目のあたりにされ、びっくりして帰国するやただちに自国でのフッ素化の影響を調査し出した。
 その結果は惨憺たるものだったという。虫歯は減らず、不気味な斑状歯が流行し出しているのが分かったのである。統計上のDMFT指数の上では確かに虫歯が減ったことになっていたが、それには虫歯の検診の上でのごまかしともいえるような操作が関係しているのを先生は見逃さなかった。
 愕然とした先生は良心の呵責に苛まれ、行政の内部で何とかしてフッ素化政策を転換させようと努力を重ねられたのであるが、一度政治の大方針として出発した事業は、個人が幾ら努力をした所でそう簡単には元に戻らない。フッ素の害を啓発する研究論文も厳重な検閲に遭遇して発表する事ができず、国民に訴える方法も閉ざされた。
 志叶わず悪戦苦闘しているうちに、先生は60歳の定年退職を向かえた。先生はこの時を境に、一切の発言を自由人の立場から行おうと決心されたようである。先生はフッ素に関して敢然として立場を変えた。それ以後の先生の思想は、逐一、誠実な論文に纏められており世界中に影響を与えてきたことは、この領域に関心がある者なら誰でも知っていよう。
 このしばらく後に、先生はオークランド大学教育学部にフッ素化の歴史を研究した論文を提出され博士号を受けておられるが、歯学士が医学や歯学の研究ではなく、いわば社会学的な研究で博士号を受けるのは稀であろう。この論文“Education and Fluoridation in New Zealand: An History Study"(1987) は、フッ素論争を社会学の研究対象としているオーストラリアの社会学者ブライアン・マーチンによれば、この領域の必読文献の一つとされている。
 しかし、先生は紙魚ではなかった。あくまで行動の人であり、言論はその道具であった。
1992年1月になって、先生は国際フッ素研究学会雑誌「フルオライド」の編集長に就任し、併せて会計担当評議員を兼任された。世界中のフッ素研究者の投稿論文に応接し、乏しい会計の雑務を処理する立場に立たれたのである。それまでにも、フッ素の害を指摘するようになってから先生が遭遇された様々の圧力は、前記マーチンの著書にも触れられているが、学会の顔ともいうべき立場に立たれてからは、色々嫌なことが少なくなかっただろう事は想像に難くない。当時先生は既に古稀を越えておられたが、それ以後逝去の直前までその職務を全うされた。その自己犠牲に富んだ精力ぶりは、90年代のフルオライドの紙面に如実に反映されている。
 私は編集長に就任された先生に、求められて一つだけアドバイスをした事がある。それは、どうか中国や発展途上国の研究を重視して、そういった国からの論文をできる限り多数掲載して下さいという事であった。西欧の研究者は、インドについては割合知っていても、中国等のフッ素被害の現況がどんなものかは余りにも知らなさ過ぎる。インド人にとっては英語は母国語も同様であるからそれも当然といえるが、英文の瑕疵を咎め立てされてボツにされるようでは、それだけで情報が偏るということになる。フッ素による被害は地球規模で起こっている現象であり、我々はまずその実態を知らなければならない。
 その後1994年に北京で学会が開催され、飲料水の脱フッ素にかける中国の行政の意気込みが西欧人にわかってきたという事情もあるが、中国の研究が次第に雑誌を賑わせる事になったのは、ひとえに先生の努力による所が大きい。一例をあげれば、80年代の中頃から中国で盛んに行われたフッ素による脳機能障害−IQの低下−の問題1)が、現在先進国で深刻に受け止められているが、これもその大きな成果の一つといえるであろう。
 激職の間を縫って先生が世界各国からの講演の要請に応じてこられたのは先に述べたとおりであるが、フッ素化が民主主義の問題ともなってきたオーストラリア、カナダやイギリスにもよく行かれたようである。晩年には夫人に先立たれ、自らも大腸ガンの手術を再三経験するなど個人的な悲劇に見舞われたが、最後まで凛然たる気力を喪わなかった。スカッツマン独特のユーモアで周囲を包み、機鋒の鋭いバーグスターラー先生や私などがつい過激な議論をするのをニコニコと聞いておられた。
 
 去年(1998)8月のワシントン州ベリングハムでの学会の際、先生とあるイギリスの紳士と私とで公園を歩きながらとりとめもない話に興じているうちに孫の話題になった。先生にも私にもまだ孫なるものがいない。それを知るとイギリスの紳士は何とも羨ましそうな声で、「何、君たちには孫がいない? 何とも羨ましいもんだ。あんな容赦のない生き物は世の中にはいないね。」と言ったので大笑いになったことがある。ふと見上げると、カナダとアメリカの国境を示す大きなゲートの頂上に「共通の子供たちの友好を記念して」という碑文が彫られている。そこで、「この共通の子供なるものの母親は、大英帝国の事だね」とくだんの紳士に言うと、彼は不思議そうな顔をしてそれを見上げ、「はて、こんな不出来な子をもった覚えもないのだが」と言ったので又大笑いになった。
 
 そして、今年(1999)の2月。先生から一通の封書が届いた。私あてではなく、留学の準備のため親と同居するようになった娘あてである。娘の裕子は、京都での学会以来先生に可愛がられ、北京でもブタペストでもベリングハムでも顔を合わせていた。手紙を読んでいるうちに、娘の顔が蒼白になった。手紙にはこう書いてあった。「恐縮だが、これは悪い報せだ。去年のクリスマスのあたりから、また私のガンが悪化し、人生ももう終わりだと思う。君たちのご家族にはもう二度と会えまい。君たちとの交際はまことに楽しかった。父上や母上にはくれぐれも宜しく伝えてくれ。」
 確か先生のご家族は、ふだん離れて暮らしているお子さんがいるばかりだ。例え誰かが側にいるにしろ、学会事務の残務整理は容易ではあるまい。私はすぐ娘にニュージーランドに行ってもらった。十日ほど先生の家にいて娘は戻ってきた。そして、日本とは全く違う自宅でのターミナル・ケアと、悠然として最後を迎える先生につくづく感銘を受けたようであった。その2日後に先生のお嬢さんのサラから電話があった。昨日が臨終だったという。
 
 熟年になって先生の知遇を得てほぼ10年。歯科学の先輩として、また、学際学会における歯科医師という心安さから家族ぐるみで親炙してきた私としては、実に、声も出ない。
 先生の軌跡は、絶筆となった" Why I Changed My Mind about Water Fluoridation" という論文2)に充分に記されている。この一流誌に掲載された先生の持論は、オーストラリア、ブリスベーン市3)やマサチュオセッツ州ネイティックタウン4)の水道フッ素化の是非に関する決定に際して大きな影響を与え、この両都市は中立的な立場の人たちで委員会を構成し、膨大な調査を行ったあげくフッ素化を否定した。また、最近では、カナダの高名なフッ素研究者であり、熱心なフッ素化論者であったトロント大学歯学部予防歯科学のハーディ・ライムバック教授が先生と同様に立場を変えて、フッ素化は有害無効と判定してこの中止を呼びかけている。
 科学の世界では、昨日の是が必ずしも今日の是ではない。歯科学という狭い部分社会においてとはいえ多数意見に背くのは辛く、容易な事ではないが、誠実に生きようとすれば人間には他の方法がない。まして、大衆の健康が危険にさらされ、逆にそれによって利益を得るものがいる現状においておやである。
 コフーン先生の人間としての誠実さは、これからも私たちの行路を示す南十字星であり続けよう。
 
文 献
 

  1. Li X S, Zhi J L, Gao R O. Effect Of Fluoride Exposure On Intelligence In Children. Fluoride 28 4 189-192 1995.
  2. Colquhoun J. Why I Changed My Mind About Water Fluoridation. Perspectives in Biology and Medicine. 41 1 29-44 Autumn 1997.
  3. Jim Soorly ( Lord Mayor of Brisbane ). The Lord Mayor's Taskforce On Fluoridation, Final Report. 1997.
  4. Norman R Mancuso et.al. Should Natick Fluoridated? A Report to the Town and the Bord    of Selectmen Prepared by the Natick Fluoridation Study Committee. 1997. [Abstructed in    Fluoride 30 (4) 274 1997.   Internet Web Page: http://www.fluoridation.com/natick.htm