新刊紹介・書評
Barry A Groves Fluoride: Drinking Ourselves To Death?を読む
国民のおよそ2/3がフッ素水道水を飲まされているため、反対運動が激化しているアイルランドで、市民の立場から絶好の本が出版された。この本のタイトルは
Fluoride: Drinking Ourselves To Death?というのであるが、日本語に訳せば、
「飲んでいるうちに我々を死にいたらしめるフッ素」という事になるだろう。
著者のグローブス氏は、現在英国オクスフォード州に在住の60歳になるイギリス人で、英空軍に27年間エレクトロニクスの技師として勤務したあと45歳で引退し、かねて興味を有していた食と現代病との関係の研究を続け、2冊の大著を出版しいる。現在はコラムニストととして新聞や雑誌に健筆をふるっているほか、「ランセット」や「サイエンス」等の専門高級誌にも寄稿している。また、最近、フッ素化の研究により博士の学位も受領している。アーチェリーの名人で、全英チャンピオンの他、国際レベルの競技会でこれまでに11個の金メダルを獲得したというスポーツマンでもある。
さて、本題に戻って、この本についての私の感想を述べる。
この本では、彼はあくまで市民の立場から常識を健全に働かせ、その感度のよいアンテナにひっかかる推進者の言説が、どこかがおかしいとして、その独善性を抉り出す。そして、そんなドグマを生み出す状況に鋭い疑問をつきつける。その項目は多義にわたり、とても一口では言い表せない。329頁のこの本があえて35章にも細かく区分けされているゆえんである。
そうした性格のものである以上、この本は、日本人にとっては、たとえ英語が得意であろうと決して手軽とはいえないが、細かい章だてになっている分、それぞれが短く、どこからでも読め、内容がすっきりとしていて非常に読みやすい。そして、各章の冒頭に的確な見出しを掲げ、それに関連する賛成派と反対者の言葉を対比させ、どちらの言明がより合理的であるかを証拠となる学術文献と照合させて吟味することで本文を進めてゆく。膨大な文献をさばく著者の手際は練達の裁判官のようにあざやかであり、彼のこの方面での素養がひととおりのものではないことがよく伺える。
以下、その内容を具体的に一つ二つ紹介してみよう。
著者は序章(イントロダクション)で、フッ素の毒性は、
鉛より強く、ヒ素よりわずかに弱い
(Clinical Toxicology of Commercial Products, 5th edition)
というアメリカの教科書の一文を引用し、こうしたフッ素の毒性に関しては毒物学者らの見解が一致しているにもかかわらず、これを水道水に添加することに関しては、
私はフッ素の問題で専門家ぶることはできない。しかし、私が読んだ限りでは、フッ素は国民の健康にとって、いいものだと思われる。(トニー・ブレィア首相の答弁・国会議事録より)
というような言明がなされている現状とを対比させる(翻訳・村上 )。
フッ素が鉛より毒性が強い物質であるなら、当然飲料水中の含有量においても、フッ素は鉛より厳しく規制されてしかるべきである。これが常識の立場である。しかし、飲料水中の汚染最大許容量でいうなら、
「〔アメリカ環境保護庁の〕鉛の汚染最大許容量は15ppbであり、フッ素では4000ppbである。飲料水の人工的フッ素化の推奨濃度は1ppm(1ppm=1000ppb)であるが、この基準は1945年に設定されてから一度も変更されていない」(
ポール・コネット)。
のであり、どの国の政府も、これを一つの基準として考慮している。この現状は常識ではとても理解できない。どこかがおかしい。何が間違っているのか。彼は遠慮なく考察を進め、首相の発言の背景にある「英国フッ素化協会」という政治団体を明るみに出す。そして首相をしてこのように発言させる同団体の様々な手口を遠慮なくあばいてゆく。
一般人の目の届かないところで、推進派がどんな汚い手口を使うかは、かつてアメリカでの場合を内科医G・ウォルドボットや生化学者J・イァムイアニスがあばき、科学の世界にあるまじき事として批判したので世界中に知られるようになったが、相も変わらず、同様な醜い状況がイギリスやアイルランドでも起こっているようである。著者はこれを
「科学の死」(第19章)と断定し、こんな奇怪な出来事の原因がどこにあるかを明らかにする。
この本は
故ジョン・イアムイアニス博士に捧げられており、その献辞には、イ博士こそ、
「科学的真実を政治権力のために曲げることと最後まで闘いとおした前世紀の最も輝かしい科学者」だったと述べられている。イ博士が存命ならば、彼はきっとここに、彼の精神の血族を見る思いがしたにちがいない。
その精神とは何か。それこそまさしく福沢諭吉が、西欧の国民にあって日本人に根本的に欠けていると指摘した自由を求める
「不羈独立の精神」(学問のススメ初編・明治5年刊)である。そして、おそらく、これこそが古代ギリシアの都市国家以来、ヨーロッパ諸国の市民を最も深いところで支えている不条理に抵抗する精神なのである。ギリシア系アメリカ人であるイ博士と10年にもわたる交流を続け、その不屈の精神に教えられる事が多かった私としても、ひときわ深い感慨を感ぜざるを得ない。
この本の特徴をもう一つあげておこう。
それは何かというと、フッ素研究者の間で一口に「ヨーク・レビュー」と呼ばれている、ヨーク大学の一機関が公表した
フッ素化に関する調査報告書について多くの頁を割き、その経緯と内容とを詳しく論評している点である。
この報告書は、フッ素化を論難する市民の声が激しいのに手をやいたイギリス政府(ブレィア政権)が、フッ素化の利益と危険性の評価をヨーク大学に委託し研究させたものであるが、その背景には、1950年以降のイギリスの歴代政府が、兄弟国アメリカの言いなりに全国の水道のフッ素化を企画してきたという経緯がある。サッチャー政権などは、このためにわざわざスコットランド関係の法改正までして同地方をフッ素化しようとしたが、
住民の強硬な反対に会い、結局は果たせなかった。
従って何年たっても、イギリスではフッ素化水道の普及率が、給水人口比でイングランド中西部を中心とする9%を超えることができない。さすが王や貴族にも自分たちの権利を認めさせるためには不屈な闘いをいどむ民主主義の本場である。
そこで社会的問題の分析には定評があるといわれるヨーク大学に委託して、これをフッ素化に関する最終的意見とする意気込みで、関連文献の評価とその結果を踏まえた報告書の作成を委託したのである。このあたりは、「フッ素の評価・その利益と危険性」(1991)を公表したアメリカ厚生省公衆衛生局のアド・ホック委員会と似たようなものであるが、アド・ホックが政府まる抱えのご用委員会であるのが丸見えなのに対し、ワンクッションおいて大学に委託したというところがミソといえばミソである。
しかし、どんなふうに装おうとも政府の思惑があからさまとあっては、結論がどうなるかは始めから分かっている。
果してヨーク大学は、まず研究論文の評価にあたるパネル(委員団)を、フッ素化の賛成者(歯科学者)と中立的な者ばかりで固めて反対者を一人も入れず、その上、
フッ素化の危険性を示す動物実験の研究を、全部評価の対象から省くという暴挙まで行った。その口実は、これらのフッ素の毒性研究が、全部動物について行われたものであり、人間について行われたものではないというのであるが、
プルトニウムやダイオキシンをはじめ様々な毒物の投与実験は、倫理上人間で行う事は決して許されないという事を考えてみれば、この口実には、ひとかけらの妥当性も認められない。
開いた口がふさがらないとはこの事である。
中立系の委員が途中で一人辞任しているのは、こんなパネルに嫌気がさしたのかもしれない。この本にはこんな隠された事情も詳しく書かれている。
余談になるが、こんな馬鹿げたやり方をするのは何もヨークレビューのパネルが最初ではない。WHOが水道フッ素化を世界中に推奨するために招集した「専門家会議」も全く同様であり、その会議については
「フッ素の添加の利点に少しでも疑問をなげかけるような情報は、すべて研究班員によって無視された。もし私自身がその場に居合わせなかったならば、そんな事が行われるなど全く信じられないにちがいない」(デンマーク・オデンス大学・環境医学・フィリッペ・グランヂーン教授)
という内部告発がなされたくらいである。
幸いこの内部告発は、アメリカ環境保護庁の科学者にあてたものであったため握りつぶされず、アメリカ化学学会の機関誌ケミカル&エンジニャリングニュースの特集記事で紹介されて世界中に知れわった(
村上 徹訳・プリニウスの迷信・1989・績文堂)が、フッ素に関しては世間的には権威ありとされている国際機関でさえ殆ど信用する事ができないのはこれを見ても納得できよう。フッ素の害を隠蔽しなければならない企業やそのご用を務める政治の力は、国際機関にまで及んでいるのである。
余談になるが、本年(2002)1月31日づけで公表されたわが国の
「薬害オンブズパースン会議」の「う歯予防を目的としたフッ素の有効性と危険性に関する文献調査研究報告書」は、このヨーク・レビューを相当な程度参考にしていながら、その考察についてはかなりの批判を加えている。「薬害〜〜報告書」の作製にあたった研究者らは、この本の存在は知らなかったように見受けられるが、それにもかかわらず独自でこのような見解に達しえたのは、わが国の民間研究機関の思考水準の高さと独立性を示すものとして敬意を表するに値しよう。こういうしっかりした精神の持ち主がいる限り、まだ日本は信頼できるという思いがする。
最後に、この本について少し不満に思った事があるので,それについても述べておきたい。
残念ながらこの本には、不注意なミスと思われる誤りが20箇所くらいある。その殆どは論旨に関係のない研究者の履歴や学術用語に関する事項であるが、わずかとはいえ本の品位を損ねることは確かなので、後日の訂正を望みたい。一般向けの本とはいえ、こんな分野の本の作製には、敏腕な編集者がプロデューサーについたとしても、査読等において腕を振るえぬことが少なくない。それだけ校正には著者の負担が重くなるが、これは物書きの宿命である。ライフワークとしてフッ素問題の研究にたづさわっている私としても決して他人ごとではないのであるが、あえて付言しておく必要を感じた。
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