第1章 環境病
今世紀の始めまで、感染症は人間にとっては、命がけで闘うべき強敵であった。天然痘やジフテリア、チフス、コレラ、赤痢、結核、脾脱疽病などは、時には住民をすべて抹殺した。多数の子供たちがしょうこう熱やハシカで死に、運よく助かった者も、その後ながく苦しんだ。肺炎は最も恐ろしい病気の一つで、助かる者は殆どなかった。
しかし、19世紀の後半になるとロベルト・コッホ、ルイ・パスツール、ヨゼフ・リスター、ポール・工一ルリッヒらによって医学に新時代が拓かれた。なかでも特筆すべき偉大な業績は、1882年に、コッホが、棒のような形の細菌を結核の原因とつきとめ、その2年後の1884年に、パスツールがワクチンを使って、恐怖の的だった狂犬病から人間を守ることができるのを立証し、さらにエドワード・ジェンナーが、天然痘で同様なことを確証したことである。これらの大発見は、何千年もの間猛威をふるってきた伝染病から人類を開放する強大な力となった。
おかげで血清やワクチンによる治療法は急速に進歩し、20世紀の半ばになると、感染症をコントロールすることはそんなに難しいことではなくなってきた。ある医学者が、すこぶる楽天的に「我々がもっている治療手段は極めて強力で、これでコントロールできない病気は殆どない」と述べた程である(1)。
ジョナス・ソークやアルバート・セイビンといった天才たちの疲れを知らぬ努力で、灰白髄炎(訳者注:小児マヒ)すら、事実上根絶に近くにまで追い込むことができたのはその好例である。こうした一連の経過のなかで忘れてならないのは、アメリカ合衆国公衆衛生局(参照:脚注1−1。本書には、しばしばこの名称が出てくるので、以下衛生局と略す一訳者)の絶大な貢献である。衛生局はアメリカ全土にわたって情報を提供し研究を援助した。奇蹟を呼ぶ薬といわれるワクチンや血清、抗生物質は、明らかに人間の寿命を延長させた。そのために20世紀の医師たちは、医学的関心を他の諸問題に振り向けることができたのであった。というのも、19世紀に発達したテクノロジーは、必ずしも人間の健康に利益ばかりをもたらしたわけではなかったからだ。
産業革命は、進歩と同時に、人間に多くの苦痛をもたらした。これは両刃の剣だった。昔はふつうだった真青な空が、灰色の煙や汚染物質でとって代わられると、文明は、それを作り出した人間に、復讐をはじめたようにも思われた。
今まで存在もしなかった原因不明の慢性疾患が、不気味な姿を見せはじめた。びっくりするほどガンが増え、そのほかにも、関節炎、心臓循環器疾患、先天的奇形などが、感染症にとってかわてって激増した。このため、人間は新たに、これらの病気をコントロールすることを勉強しなければならなくなった。
人間は、自ら呼吸する空気に毒物を混じえたばかりか、水や食物や、ありとあらゆるの環境を汚染しつくして、人間自身が自分の生存の敵となったのである。これらの新しい病気が人間を冒していく有様はじつに狡滑で、真の問題のありかをわからなくさせることが多く、このため、医師や科学者はじつに長いあいだ欺かれ続けてきた。
現代の医学論文には、如何に多数の健康問題が、人間自身によって作り出されたものであるかが語られている。産業革命の初期には、医師はもう既に、工場の煤煙や粉塵が、労働者の健康を如何に障害するかについては十分に認識していたと言ってよい。しかし、そうした工場が、周辺の住民にまで同様な被害を与えることについて気がついてきたのは、ごく最近のことでしかないのである。
工業汚染
1946年にH・L・ハーディとI・R・ティバショーが、ベリリウム工場の労働者におこる遷延性肺炎について論文を発表したとき、彼らはこの深刻な“近隣性疾患”が、他の研究者によっても発見されることを期待していた(2)。そうして、彼らの期待どおり3年後に、同様な病気が他の科学者グループによって発見されたのであった。
後者(6人の共著)が発表した論文では、前者と同様なベリリウム性の肺疾患が、オハイオ州の或るベリリウム工場から3/4マイル以内に住む10人の住民に起こったことが報告されている。この事実は、汚染が、工場を越えて拡散していることを物語っていた。多発性肉芽腫と呼ばれるこの疾患は、しばしば致命的なものだが:その進行は極めて遅く、毒物に曝露されてから何年もたたなければ、発病したことすらわからないくらいである。
ペンシルヴァニア州のベリリウム工場の風下1.7〜6マイル以内に住んでいた26人に関する別の研究によると、このベリリウムが、小規模な流行病の原因であったことが明らかであり、その状況はまるで感染症の流行のようだった。その工場の労働者が1日の作業を終えてから衣服を振ってみると、空気11m3あたりに1.5マイクログラムのベリリウムがたまっていた。これはその労働者の家族がこの病気にかかるのに十分すぎる量であった(3)。
その他の工業汚染も、原因不明の慢性疾患を数多くひき起こした。1955年に、日本のK・コマツ医師は、長野県下の鬼無里村の1033人の住人のうち、床マットの製造に従事している357人が慢性の疾患に罹っているのを発見した(4)。
訳者による脚注1−1:合衆国公衆衛生局(US Public Health Service−PHS)。アメリカ厚生省は、官房機能をもつ部局のほか、四つの局(Service)、二つの室(Office)と地方部局から成り立っている。PHSはその四つの局のうちの一つである。その局長が大臣直属の副大臣(Assistant
Secretary for Health)となっており、この局は四つのうちの筆頭局であるといえるであろう。有名なアメリカ国立衛生研究所(NIH)、食品薬品局(FDA)などはこの局の下部組織であり、いわば課(Bureau)である。
NIHは法律によって医学保健分野の研究を全般的に統括する権限を与えられており、その傘下にガン研究所など12の国立研究所を抱えている。あとで本稿にしばしば登場する国立歯学研究所(NIDR)もその一つである。公衆衛生局の医学分野における権限の強大さがわかるであろう。
のちほど本書17章で述べられることになるが、歴史的に公衆衛生局は合衆国財務省に置かれていた時期があり、この財務省で局長をつとめたアンドリュー・メロンはアメリカ最大のアルミニウム製造会社アルコア(ALCOA)の創立者でもある。水道フッ素化という思想を生み出したG・J・コックスはこのアルコアの研究職の社員であった。処理に頭を痛めていた毒性廃棄物のフッ素を逆に商品にしたて上げたという点で、この企業にとって、フッ素化ほど大ヒットした企画は少なかったであろう。この企画が、十分な医学的検討を経ずしてただちに実施されたのも当然である。因みに、フッ素化にゴーサインをおくったオスカー・ユーイングという当時の高官は、その後に弁護士としてALCOAに雇われ、1944年には年額75万ドルという巨額の報酬を受けたという事実が上院の公聴会で明らかにされ問題となった。その後彼は、メロンに次いでアルコアのナンバー2の地位を獲得する。フッ素化を推進する歯学研究者として有名なクヌトソン、ディーン、ラッセルらは、公衆衛生局歯科保健部の官僚として、みなこのユーイングの配下にあった人たちである。
*参考文献:プリニウスの迷信(1989・村上徹・績文堂)
海外における研究体制(歯界展望・1988,12月号・小島光洋)
その村では、冬期になると、防風のために作業場の窓や壁の隙間を厳重に目張りした。暖房に木炭を使用していたため、人で込み合ったその部屋の一酸化炭素の濃度は0.2〜O,3%にも達した。最初は患者には、だるさ、疲労、肩凝り、頭痛などの症状が現れただけであったが、病状が進むにつれ、呼吸が短くなり、身体の硬直、胸部痛などが現れた。一酸化炭素が、高血圧を伴うある種の動脈硬化性心疾患を惹起したのであった。この病気は、現在では、“信州心筋症’’として知られ、特に心臓の弁が障害されることがわかっている。
この10年間に、同じ日本のK・ツチヤ医師は、富山市の住民の間に流行していた新しい病気を解明した。この疾患は最初は腰痛を特徴とし、それが徐々に全身の骨の痛みへと進展し、それがあまりにも苦しいため、住民はこれを“イタイイタイ病”(5)と呼んで恐れた。最後には、患者の脆くなった骨は弱い力でも簡単に折れてしまうようになり、この結果、多発性の骨折が惹起した。そして殆どの場合、患者は、この病気の経過の中で発病する腎不全によって死亡したのである。
精力的な研究の結果、この原因は、鉛と亜鉛の鉱山の近くで栽培された米と大豆中のカドミウムであることが明らかになった。鉱山から流出する水中のカドミウムが、あたり一帯を汚染したのである。そして日本の保健当局は、汚染を厳重にコントロールすることにより、この病気を根治させた。合衆国においても、微量金属の毒性研究のスペシャリストであったH・シュローダーが、何年にもわたって、カドミウムの危険性、とくにこれが高血圧の原因となることについて強い警告を発していた(6)。殺虫剤、化学肥料、水道のパイプなどが食物や飲料水のカドミウム汚染の原因となるのである。
日本の研究者の探究心と創造力とは、また、工業化時代の人間が作り出した最も恐るべき中毒事件一水俣湾の水銀汚染のミステリーをも解明した。1953年から1960年の間に111人もの人間が廃人となり、43人が死亡した(7)。塩化ビニールやアセトアルデヒドからプラスチックを製造する工場は、水銀を含む廃棄物を海水中にタレ流していたのである。そして、その水銀は、その地方の住民が食用とする魚の中へと蓄積していった。
1965年に日本の新潟で起こった水銀汚染は、水俣病ほど深刻なものではなかったが、それでも26人の住民が被害を受け、そのうち5人が死亡した(8)。
これらの病気とて、最初患者に現れたのはごくありふれた、はっきりしない症状にすぎない。すなわち、疲労、虚弱、怒りっぽさ、手足のシビレ感などである。ひき続いて、視覚、聴覚の衰えや筋肉の協調性の欠如、さらに進行性の衰弱などが起こった。この場合悲惨だったのは、先天的な奇形児が19人も誕生したことである。しかも、奇妙なことに、この子らの母親は、全くの無症状か、ごく軽度の異常を訴えていたにすぎなかった。
水銀は揮発性があるために遠い所にまで拡散する。そして湖沼や河川の底に沈澱し、バクテリアに吸収されて、一段と毒性の強いアルキル水銀に変化する。それが、魚の餌になるプランクトンに蓄積され、食物連鎖によりさらに濃縮されるのである。
1960年代には、スエーデンでも広範囲な水銀汚染が起こった。この場合は、種用に水銀処理された穀物がうっかりして家畜の餌にされ、食肉や卵にひどい汚染をもたらしたのであった(9)。
工業化時代のもう一つの産物にアスベストがあるが、広範囲な環境汚染源という点では、この物質は水銀以上である。アスベストは至る所で使用されている。家、農場、工場、自動車、列車、船舶、ミサイル。屋根や壁の下張りに使用されているかと思えば、空調ダクトや水道パイプ、おびただしい電気製品の部品、そのほか生地や敷物など、使われていない所はない程である。建設工事の現場などで鉄鋼の梁や壁の隙間にアスベストが吹き付けられたとすると、この物質は、特に都市部では、その作業と全く関係のない人たちの肺の奥にまで侵入する。
一例をあげると、1970年のニューヨーク市では、直径1マイクロメートル以下の無数の細かいアスベストの繊維が、3000例の検死体のうち、その約2/3から見つかった(10)。この繊維が肺に侵入すると、肺はしばしば癩痕という組織変化を起こすのであるが、それはやがて肺ガンヘと進展する。肺の内面や腹腔に発生する悪性腫瘍は中皮腫として知られ、20年ほど前から医学的興味の対象となっていたが、今日ではこれがアスベストによるものであることが明らかであり、アスベストに曝露されたという記憶がない者にすら起こっている(11)。さらに厄介なのは、アスベストに曝露されてからガンが発生するまでに長い時間の遅れがあることで、時にはそれが40年にも達することがある。元来、空気を経由するこの毒物は、それだけではなく製鉄工場から排出される水を経由して河や湖や海までも汚染する。このような汚染源から、時には水道にガンを惹起するに十分な量のアスベストが混入してしまうのである。
さらに衛生当局が注目しているのに、慢性の鉛中毒がある。これは最近でこそ医学者の関心を引くようになってきたが、古代ギリシアやローマ以来人間を苦しめてきた病気である。古代ローマでは、鉛は水道のパイプや食器を介して、特に上流階級の人々の過剰摂取の原因となった(12)。今日ですら、水道の配管(主に古い鉛管)やジョイントの鑞着から、飲料水とくに“軟い”非アルカリ性の飲料水が汚染されているのである。
しかし、それよりも危険性があるのは、自動車の排ガスと石炭や木クズなどを燃やす際の煙の中の鉛である。というのは、この鉛は、野外の穀物、果物、野菜などに蓄積するからである。このようにして、鉛は、我々が呼吸する空気ばかりか食物までも汚染し、そこから毎日体内にとりこまれる量は、ほぼ0.3mgと推定されており(13)、これは人体のとくに骨に蓄積する鉛の約10%に達する。さらに危険で厄介なのは、塗料の中の鉛である。幼児はしばしば木製品、プラスター、床、家具などを嘗めるので、ここから曝露されるのである。
このような状況であってみれば、アメリカの25〜30%の子供たちの血中の鉛の濃度が、10ミリリットル中40マイクログラム以上あったとて驚くには当たらぬだろう。この濃度の鉛は、“前臨床段階”(参照:脚注1−2)の鉛中毒を惹起するのに十分な量である。そして、この“前臨床段階”を経て、人間はゆっくりと知らずしらずの間に、後述する慢性中毒へと導かれるのである(14)。
慢性の鉛中毒患者は、イライラして過剰に活動的となり、衝動的で落ち着かず、どことなくギシギシした態度を示す。また、貧血様の顔貌を呈し、筋肉痛、胸やけ、嘔吐、便秘などの症状を訴えるが、これらの症状は、普通では、深刻な関心の対象とはならない。ところが鉛中毒の症状が軽くても、流産や死産が起こることがある。というのは、その胎児の骨中の鉛(及びカドミウム)の濃度は、正常児の場合より5〜10倍くらい高いことがわかっているからである(15)。症状が進むに従って、被害者には視覚や知覚の異常が現われ、傾眠、運動バランスの消失、テンカン様の痙攣、手足の筋肉のマヒなどが起こるが、これらの症状は脳が障害されたことを示しているのである。
幸いなことに最近の技術は、鉛中毒を早期に発見することが可能である。その方法を列挙してみると、(a)X線で腸の中の鉛を確かめる、(b)研究室レベルの試験で赤血球に好塩基性の斑点があることを観測する、(C)尿検査により、ヘモグロビンの産生を阻害するデルタアミノレブリン酸の増加を確認する、などである。ある程度進んだ鉛中毒では、体内より選択的に鉛や水銀を除去するキレートを用いての治療が行われる。
訳者による脚注1−2:前臨床段階の中毒(subclinical poisoning) 医者にかかるような明らかな異常が生じる前の段階の異常というほどの意味。環境化学物質(汚染物質)が健康を障害する過程については、最近次のような考えが確立されてきた。すなわち、ある毒物は生物に対して、ごく低いレベルの曝露による軽度の症状から大量による重篤な症状まで、連続した変化を惹き起こす。しかし、初期の段階においては、体内の異常は、例えば酵素の活性の減少といった微妙なものであり、ふつう体調の異常としては自覚できず、もちろん医師の通常の検査でも異常を発見できない。重篤度を5段階に分けた斑状歯(歯牙フッ素症)の場合で考えると理解しやすい。
ダイオキシン
除草剤、殺菌剤、殺虫剤、殺鼠剤なども、病気や死を引き起こす。枯草剤として様々なスプレーに使用されている化学物質のなかでもとりわけ危険なものに、2,4,5−Tダイオキシン(2,4,5−トリクロロフェノキシ酢酸の塩化物)と他の含多塩素フェノールの誘導体があるが、これらの作用はまことに激烈であって、様々な悲劇を引き起こしてきた。(ダイオキシンは2,4,5−Tや他のフェノキシ酢酸系の除草剤を製造する際に形成される3環構造型の副産物である。)
最近の報告(16)によれば、西独ルードウィッヒシャーヘン(1953年)、オランダ(1963年)、英国ダービー州などで、この除草剤を製造する労働者や付近の住民に急性ダイオキシン中毒が発生した。1976年には、イタリアのセベソで、除草剤製造工場の化学プラントの爆発が起こって多量のダイオキシン(1.5〜2s)が飛散し、あたり一帯の住民が疎開させられた。 その後もダイオキシンは、ミラノに近い河川やミラノとセベソの中間にあるヴァレドの下水処理場、工場周辺1Km(0.6マイル)の深さ25cmの地中からも見つかっている。
1962年から1969年にかけて、ベトナムで2,4,5−Tや他のダイオキシン系の枯葉剤(参照:脚注1−3)が、大量に使用された。ダイオキシンの毒性としては、少なくとも、次の6種の作用が知られている。(1)皮膚病・主に塩素ザ瘡;(2)眼疾患・結膜炎、虹彩炎、角膜疾患を含む;(3)血液凝固異常に起因する胃腸出血;(4)ウイルス性肝炎に似た肝臓疾患;(5)流産および奇形児出産;(6)ガン。
ベトナムで枯葉剤の散布がはじまった1956年から1961年までの間に、ハノイ近辺における5492例のガンのうち肝臓に原発したガンは159例であった。一方、1962年から1968年までの間に記録されたものは、7911例のうち791例である。この変化は、肝臓に原発したガンが3倍以上も増加したことを示しているのである(16)。
訳者による脚注1−3:枯葉剤(defoliant) 植物に噴霧したり散布したりして葉を枯らし落葉させる薬物。アメリカでは、大豆などの収穫に一般に用いられているという。太平洋戦争以来、ジャングル戦のためにこの開発が推進され、2,4−Dが発見された。ダイオキシンは2個のベンゼン核を2個の酸素で結合した有機塩素系化合物で、塩素の結合数と結合位置によって毒性に大きな差がある。酸素原子の位置が接頭語の数字で表示される。今日では塩化ビニール系のゴミの焼却で排出が激増、日本でも深刻な問題となっていることは既におなじみである。このダイオキシンンの専門誌にアメリカのWaste
Notがある。URL:http://it.tlawu.edu/^wastenot/
喫 煙
喫煙という人間の愚行は、最も深刻な消耗性の疾患を幾つか作り出す。タバコの煙の中には、血管に害を与えるニコチンのほかに、ベンゾ(ア)ビレンのような発ガン物質のタールがある。また、その中の一酸化炭素は、車庫やトンネルの排気ガスより高濃度である。さらにその中には、ヒ素、鉛(および放射性のあるもの)、カドミウム、フッ素などの毒物があり、それらは葉タバコの栽培時に、殺虫剤スプレーなどで散布され吸収されたものである。タバコを加工する際に出る顕微鏡的なガラスやアスベストでさえ、タバコの煙の中の毒物の万華鏡のように多彩な作用を現している(17)。
もとより肺ガンや肺気腫は、喫煙という習慣が支払う高価な代償であるが、また、若年者の心臓障害の最も大きな原因の一つでもあり、さらに胃疾患や、母親にその習慣がある場合、産児の体重の減少などをもたらす(18)。また、肺に自然に傭わっている防御機能を損ない、そのためにアスベスト、二酸化硫黄、カドミウムなどによる障害をより受け易い状態にしてしまうのである(19)。
私がタバコによるひどい障害を強烈に印象づけられたのは、1953年に、数名の患者さんと一緒に私が罹った呼吸器疾患の原因がタバコだと覚った時だった。この肺気腫という病気の主な先駆的症状は、慢性の喉の炎症、胸痛、気管支の上部に限局する喘息様の喘鳴を伴うしつっこい咳などである。私の症状は患者さんのものとほぼ似たようなものだったが、自分自身の状態について思案したあと、私は、もしかしたらタバコが原因ではあるまいかと疑い禁煙してみた。そうすると、何と愉快にも、私の症状は殆どが消えてしまったのである。
私はこの疾患について論文をまとめ、これを‘‘喫煙者呼吸器症候群”と名付けて、アメリカ医師会雑誌に投稿した(20)。この論文は、医学文献に現れたこの種の報告では最初のものであり、私はその中で、この病気の治療の最も効果的な手段は完全な禁煙であることを結論した。その後、ガンの初期ではないかと疑われた何百という患者さんや、まちがって本態性喘息などと呼ばれてきたこの慢性のしつっこい病気や初期の肺気腫が、単に禁煙することによって治ってしまうようになったのである。
フッ素塩素炭素化合物(フロン)
煙害は部屋などの限られた空間でしか起こらないが、人間が作り出した別の空気汚染は、地球の大気圏をはるか越えた所にまで到達する。早くも1930年代に、エアロゾル産業と冷凍産業は、彼らが理想的と信じる二つの噴出剤と冷媒、すなわち商品名をフレオンー12、フレオンー11という、ディクロロ・ディフルオロ・メタンと、トリクロロ・モノフルオロ・メタンというガスを発明した。
この二つのガスは、その安定性無毒性非燃性で我々の経済生活に革命をもたらし、1973年の合衆国の総生産量は、8億3千万ポンドにまで上昇した。このガスは圧力容器中に液化して使用され、噴出された後は空中に放出されたままである。実際、スプレー製品には何でもこれが使われているし、今日では、どこの冷凍プラントもフレオンを利用している。
1970年にはいって、英国リーデング大学のJ・E・ラブロックは、この二つのガスが西アイルランド上空の空気中に含まれていることを観察し、ついで1971年に、この中の一つが、対流圏全体(対流圏とは地表と成層圏の間にある6〜10マイルの厚さ大気の層をいう)に広がっていることを発見した。
1973年にはアーヴァインにあるカルフォルニア大学のF・S・ローランドとM・J・モーリナという2人の科学者が、このガスが成層圏に入った時は、フルオロカーボン分子は太陽の強烈な紫外線を受けて分解し、塩素原子を放出することを発見した。
この変化が進行すると、太陽の有害な紫外線の輻射から地球を遮蔽しているオゾン層を破壊することになるのである(21)。ラブロックの計算によると、成層圏中のフレオンー11の総量は今までに製造された総量とほぼ等しいという。研究者は、このガスは雨などによって大気中で分解することがなく、また、水に不溶性のため海に吸収されることもないと結論している。
なお困ったことに、これは今まで分かっている限りの方法では分解することができないのである(22)。1972年に世界中で製造されたこのガスの総量は百万トンであるが、もし、この割合でこれが製造され続けるならば、塩素原子の放出と、オゾン→酸素原子という変化は、地球を保護しているオゾン層を消失もしくは著しく変化させ、地球の生物系を崩壊させてしまうであろう(23)。オゾンの消失は地球上の太陽の輻射を増大させ、天候を変え、動植物の細胞を障害するばかりか、人間にガンや遺伝子異常などの増加をきたすだろう。
食 品 添 加 物
噴出剤、タバコ、工場、自動車などによる汚染は、環境汚染という大規模な異常のほんの一部分にすぎない。というのも、我々は食品添加物という、人間が作り出した別の危険物質に直面しているからである。
私が言いたいのは、我々が毎日摂取するなかにある、防腐剤、乾燥剤、成長剤、抗凝固剤、抗泡化剤、進展剤、乳化剤、保厚剤、賦形剤、人工甘味料、香料、保湿剤、抗カビ剤、コンディショナー、加水分解剤、抗酸化剤、さては食用動物に投与される抗生物質からホルモン剤に至るまでの、2,500種類にものぼる物質のことである。
元来が我々の体にとって異物であるこれらの物質のくわしい作用は、多くは未知であって予測することすら不可能である。一例をあげれば、牛に成長剤として投与されるスチルベストロールは、産科医師が、妊娠期間中にこれを摂取してした母親から生まれた子供にガンができたことを発見するまでは安全であるとされてきた(24)。賢明なる消費者は、このような危険が明らかにされ、政府が厳重な規制を開始したのにもかかわらず、アメリカでは何故今なおこれが家畜の肥育に用いられているのかを考えなければならない。(訳者:今ではこれは環境ホルモンとして大問題となっている。)
文明の発達とともに人間の健康の敵となってきたもう一つの物質に硝酸塩と亜硝酸塩があるが、これらは、多くの人間や動物の食物とくに加工肉の中に、ボツリヌス菌による腐敗を防ぐため用いられている。中でもとくにべ一コンは、脂肪が多くまた高温でフライにされるために長いあいだ問題にされてきた。
胃の中では、ある条件下とくに硝酸塩の活性が高い場合、硝酸塩は第二アミンに作用して、毒性が高いN一ニトラサミンになることが動物実験で確かめられているが(25)、人間の場合、これらの毒物がガンと関係あるかどうかは結論がでる所まで行っていない。しかし、色々な種類の動物で同じような結果になっている以上、安心は禁物である。
かくして、行政当局は、消費者を深刻な感染症から保護しようとすることが、同時により深刻な危険物質に曝露させることになりかねないというジレンマに、ここでも直面しているのである。食品薬品局(FDA)が数多くの有害添加物の使用を禁止していることは事実であるが、使用が許可されているものが如何に我々の寿命を縮めているか、その評価は現在はできない。
どんな病気にも、まず薬を
この他に、ひろく我々の健康に打撃を与えているものに、薬剤の乱用がある。“どんな病気にも薬を”という欲求は、それが有効であるか救命的であるか、逆に有害であるかを決定しなければならない医師にとって、甚だ厄介な問題をもたらしている。過去においては、薬剤は、適切な試験を行う前に市場に出廻ってきたことが非常に多く、治療に効果的であったと同時に悲劇をもひき起こした。私自身の経験を述べてみよう。
1949年に、私はペニシリンによって、急激かつ致命的なアナフィラキシイショックが起こるという最初の報告を発表した(26)。この悲劇は、39歳の女性の上に起こった。すなわち、彼女は、妹である看護婦がペニシリンを注射したあと数分のうちに虚脱に陥り死亡したのであった。現在では同様な事故が多数記録に残されている。
この特殊な症例の要点は、前回注射した時には何でもなかったという所にあり、この事実から、前回の注射から今回までの3週間の間に、患者は致命的な過敏性を獲得したのに違いないと結論せざるを得ぬことである。このような、前の注射から次までの2〜3週間のあいだに過敏性が昂進するという事実は、現在では動物実験によって十分に確証されている。
動物実験から考察するかぎりでは、極めて奇妙な現象にしか見えないアナフィラキシイショックによる急死について、私は以前に、大規模な研究を行ったことがあった(27−30)。注射後の急死に関する多数の病院記録を検証したあとで、私は局所麻酔剤のような非タンパク性の物質でも、動物の血清が全身性浮腫を起こすのと同様アナフィラキシイと同じ現象を起こすことがあるという事実を提示することができた(35)。アスピリンのような害のない薬物でも、著しく過敏性が昂進した者には、たとえその者が今まで何年も、何の障害もなく服用してきたという事実があるにもかかわらずアナフィラキシイを起こすということは普通にある。
このような反応を評価するに際して、我々は薬物に対する過敏性(もしくは、アレルギー)と不耐性とを区別しなければならない。アスピリンに即していえば、不耐性は胃の中の出血によって特徴づけられるのであり、一方アレルギーは、ジンマシン、喘息、鼻副鼻腔疾患やショックのような症状すらも惹起し、それらは薬物の毒性とは全く関係がなく、量が過剰である必要も全くないない。
殆どの薬物が、それに不耐性な人間には副作用をひき起こす。一例をあげれば、フェナセチンはヨーロッパにおいては、1961年にノルウェーのO・ノルデンフェルドとN・リンゲルツの2人の医師が、男性27人女性3人(そのうちのある者は、20年以上も定期的にこの投薬を受けてきた)に致命的な腎疾患を惹起することを発見するまでは、50年以上も鎮静剤として使用されてきた(36)。また、別な例として、第2次大戦直後、心臓病患者に塩の代用として処方されたリチウムの化合物が腎疾患を惹起し、患者を死なせた。
それにもかかわらず、1969年には食品薬品局によって、リチウムの炭酸塩は、精神病者に対する“おだやかな非習慣的鎮静剤”として使用が推奨され、テキサス大学の研究者によって、水道水に添加することまでが提案された(37)。この研究者が見つけた所では、飲料水中のリチウムの濃度が高いテキサスのある町からは、精神病院に入院する者の数は有意に少ないというのである。 しかし、リチウムは不可逆性の脳障害の原因ともなっているのである(38)。
一世紀にもわたって、医師は水銀製剤を梅毒の治療に使用してきた。それは筋肉に注射されただけではなく、日常茶飯的に体中いたるところの皮膚に塗られてきた。その高度の揮発性は、呼吸からの吸収をもたらしてしばしばゆっくりと腎障害へと導き、その症状が余り明瞭でないために、その多くは気付かれぬままに終始した。如何に多くの梅毒患者の死が実際には水銀中毒の結果だったかを、我々は十分に知ってはいまい。
長期間にわたる薬害を認識することが如何に困難であるか、それを最も鮮烈に示す例の一つとして、1960年代にアメリカ内外の無数の嬰児の上に起こったサリドマイドの悲劇、フォコメリー(アザラシ肢症)をあげることができるだろう。これは母親が、精神安定剤としてサリドマイドを妊娠初期に服用した結果起こった嬰児の四肢の著しい奇形である(39)。食品薬品局の同意のもとに、サリドマイドは、アメリカではおよそ1200人に医師によって、その副作用が知られるようになるまで6年間も研究目的で投与されていたのであった(40)。「アメリカのサリドマイド児のざっと1/3が、サンプル薬の配布を受けた医師の妻から生まれた」(40)ことは、まことに皮肉な事態と言わなければならない。
そのほか、医学の不適切な新療法によって悲惨な被害を受けた例に、保健官僚が未熟児に対して勧めた高濃度酸素の日常的投与による水晶体後方繊維増殖症の全盲児の場合がある。投与開始3〜5週間後になると、眼のレンズ体後方の動静脈は充血し、不透明な斑点が網膜やガラス体に広がるのである。そして、新に形成された組織によって視力が奪われ、最終的には全盲となってしまうのである。この病気の原因が明らかになるまでには11年を要し、それまで合衆国厚生省は立場を変えようとはしなかったのである(41)。
毒物としてよく知られているヒ素でさえ、少量ではある種の皮膚疾患とくに乾癬や気管支喘息(42)の治療に有効であると信じられてききた。それが変わったのは、長期間のヒ素の摂取は、皮膚炎、嘔吐、腹痛、下痢、過角化症や体液の貯溜を起こすということが決定されてからである。さらに最近の研究では、物質の皮膚や肝臓、肺などに対する発ガン性が指摘されており(43)、特にスプレーや石炭(1gあたり16マイクログラムのヒ素を含む)の燃焼でこれが空中に放出されたときが問題であるという。
以上は、技術革新、工業の発達、医学という道の路上に散らばっている無数の人工病のほんの数例である。これらの事実、とくに水の汚染物質は、極めて少量であっても障害を与えるには十分であるという事実は、幾ら強調してもしすぎることはない。汚染物質は時間をかけて体内に入りこみ、ゆっくりとあいまいな形で病気を起こす。そのために診断は困難であり、治療の専門家の注意にひっかからずに終わってしまうのである。
次章で私は、自然界で最も明らかな毒性物質の一つでありながらその評価が不適切であり、無数の医学論文があます所なくその有害作用を明らかにしていながらそのことが十分に知られないでいるフッ素について議論を展開する。
実際フッ素ほど、空中水中食物中という生態系にひろく分布して人体や動植物に障害を与えていながら、虫歯予防のためと称して、1ppmの濃度で上水道に添加されまでしている元素は稀である。
フッ素は毒物か、それとも万能薬か。この重要な疑問は20世紀最大のディレンマである。(45)。
[文 献] 省略
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