閑談   万歳、にんげん
                                 村上 徹(2005年3月。
                    初出・群馬大学大学院顎口腔外科学教室同門会会誌弟10号)


━先生のご近況を伺いたいもので。

 「わが敬愛する作家の開高健は、いつも『男は名を惜しまなあかん』といっていた。近頃は晩節を汚して平気な者だらけだ。そこで及ばずながら小生は断然と決意して、65歳を期に校医をはじめ一切の公職を退いた。何も校医までやめることはないのだが、若い人で校医になりたくてしようがないのがいるのに、年寄りが勲章ほしさにがんばっている、という声がきこえてきたためだ。まぁその裏には、立ちあげた私のウェブサイト[1]の管理や充実と自著[2]の出版で時間がなくなってきたという理由もあったがな。とにかくそういうわけで一切の役をやめた。そして読書三昧、ますます『ケの世界』探求に余念がないな。興味津々だ。」

━は?なんですか。その「ケの世界」とは。

 「百骸九竅(ひゃくがいきゅうきょう)という言葉をご承知かな。」

━??

 「人間は百の骨と九つの穴から成るという意味の古語だ。人体の穴を上から順々に勘定してごらん。ただし、九、これは男の場合だ。女性の場合はもう一つあるから、十竅ということになるな。」

━アハハ、アハハ。

 「笑いごとではないぞ。我々歯科医師はこのうちの上半身にあいている最大の穴を商売の対象にして、日夜悪戦苦闘しているわけだ。」

━それは分かりました。で、それがその「ケの世界」とどんな関係があるので?

 「ケとはだな、字で書けば『褻』となる。この字の上に『猥』という字をつければワイセツとなる。どうだ、興味がわいてくるだろうが。」

━へー。わかったような、わからないような。

 「要するにするに『ケ』とはだ、『ハレ(晴れ)』と言う言葉の対語だな。『ハレ』とは人前で胸をはっていられるような状態をさす。そこから転じて、祭りとか、祝いとか、要するに、人前であからさまに言えるようなことをいう。これに対して、「ケ」とは、人前であからさまにしてはならない事、隠しておくべき事を総称する。これを人間の生活の上で具体的にいえば、排泄とか、生殖とか、唾や痰などの外分泌とか、はては出血とか死とか、そういう無残な、人が眉をひそめるようなことがら一切をいう。じつに大問題ではないか。」

━へえ、へえ。

 「そんな気のない言い方をするな。文化論的にいえばだ、これはじつに一大問題なのである。そもそもだな、『ケ』と『ハレ』などと区別するのはだ、全く時代錯誤的であって合理精神を旨とすべき現代人にはナンセンスである。そんな旧時代の精神構造など断固否定すべきである。TPOというものがあるにしてもだ。 人間の体の機能や営為において、上半身も下半身も差別などあってはならない。例えばだ、呼吸に関する研究者と、排泄に関する研究者とに差別をつけたら、そもそも医学など成りたつまい。私の学生時代の恩師の宮本璋[3]先生は、これを指して、「ノミの金玉、蚊の目玉、なにを研究しようと肝心なのはゲダンケンガングだ」という言葉で我々を教えられた。学生は腹を抱えて笑っているうちに、医学の神髄を教えられたわけだ。ところがだ、依然として目玉はいいが金玉は話題にすべきでないという風潮が医師の集団内にすらあるのはちょっと情けない。
 俗世間の慣習などはどうでもよろしい。そんなものは半分虚飾の世界だ。われわれ医師たる科学者は、基本的に自由人であるべきだ。こういう種類の人間を昔は"阿見"という言葉で呼んだ。そして現代の阿見たる者すべてをリアルに認識せねばならん。摂食についてと同様に排泄について語り、飲料水と同時に排水の汚物についても知るべきなのである。セックスについていうなら、fellatioやcunnilingus、sodomyまで視野に収めねばならん。なにしろ近代人は、消化管の入り口と出口まで生殖器として使うのだからな。ナニ、実技?そんなもん知るか(笑)。まず、教養として知ることだ。教養ってわかるか。よくわからない?だったら、立花隆氏の近作[4]でもよく読みなさい。
 しかし、唯脳論[5]という本もあるくらいだ。所詮人間は、頭で考えることはいずれ実行せずにはいられない。そこから艱、難、辛、苦、喜、怒、哀、楽、それにまつわる様々な不満や疾病が発生する。人体や疾病については、浅学といえども我々はプロなんだからな。
 しかし、これはじつに厄介だぞ、キミ。医学書だけではとても事がすまない。セクソロジーやスキャトロジーに関する史書や文学書の渉猟で寧日なきありさまとなる。そうしなければ、例えばだ、HIVの感染一つとりあげてもその予防について患者さんに説得力をもって語るわけにはゆくまい。
 突飛なようだが、ある若い小児科医はな、白血病で長期入院中の少年患者のたっての頼みで、時々Hな画像を内々に見せてやる。そうすると非常に喜ばれ患者の顔がぱぁーと明るくなるという。そういう患者が死ぬとな、彼はひそかにオイオイ声をあげて泣くらしい。また、あるリハビリの名医は、脊損の患者の性の悩みに応じて様々な技巧まで教えるという。これが人間的ということだな。しかし、こんなことは表向きは話題にされず、容易なことでは情報に接しえない。興味津々とはそういう意味だ。」

━驚きましたね。先生からは、お得意のフッ素否定論とか、オーディオだとかもっと上品な話がでるものと思っていましたが。お年のせいですか。それとも少々おボケになられたのでは。

 「うん、その気配はなくもないな。なにしろもうじき古希だからな。おぬしのような青年の感受性も、壮年の体力もみな失せたが、同時に世間のタブーや狐疑逡巡とも遠ざかり、晴耕雨読、風々飄々、いささか汚辱にまみれてきた己が心を眺めつつ、独り天馬空をゆく、と言いたいところだが、残念ながらもうそんな威勢はない。まぁ駑馬なお跛行すというところかな。しかし、ウイルヒョウ[6]ではないが、人間を信じ、人間のために働く。年をとってみると開業医もなかなかいいものだぜ。」

脚注・文献

1 日本フッ素毒警告ネットワーク。
http://members.jcom.home.ne.jp/tomura/murakami/index.htm
2 村上 徹・フッ素信仰はこのままでよいのか・績文堂・2003。
3 みやもと あきら。元東京医科歯科大学医学部教授(生化学)・医学部長。学者としての堂々たるキャリヤと忌憚のない言動をもって、昭和20〜30年代の医学界を光被した医学者の一人。昭和11年ベルリンのダーレム研究所に留学。デバイ教授(1936年ノーベル化学賞受賞)に初の外国人留学生として師事。東京帝大医学部の卒業生ながら、助教授時代に主任教授と大衝突し、こんな所にいられるかと東大生化学教室を追ん出たことでも有名。昭和17年ジャカルタの医科大学に赴任。その活躍に感謝するため、マレーの虎といわれた山下奉文将軍が、わざわざ東京の留守宅に夫人を訪れたくらである。
  電気泳動学や農村医学の先駆者。日本山岳会の古参会員の一人。高山植物についても造詣が深く、当今が皇太子であられた頃、講話のためしばしば東宮御所に招かれた。また、当時の東大や東医歯大の学生自治会を牛耳っていた全学連反主流派の寄付金の強請に際して、竹馬の友であった時の日銀総裁を紹介し、血の気の多い学生の度肝を抜いたことがある。博士の学位はおろか医師免許さえ取得しなかった。「基礎医学の専門家にはそんなもの邪魔だもの」と、私は先生から直接うかがったことがある。
 門下生の高弟に阿南功一氏(元筑波大学学長)が、また先生の写真を研究室に飾って生涯敬慕し続けた人に柳沢文徳氏(元医歯大医学部教授・難治疾患研究所所長・日本フッ素研究会創立者)がおられる。
4 立花隆・東大生はバカになったか・文春文庫・2004。
5 養老孟司・唯脳論・青土社・1989。
6  ルドルフ ウィルヒョウ(吉田富三訳)・細胞病理学・南山堂・1957。

ホームページに戻る