アイルランドの哀愁 司馬遼太郎とアイリッシュ (村上 徹)

アイルランド・タイムス紙の記事を翻訳しているうちに、色々な思い出がよみがえり、アイルランドについて、少し感想を述べたくなった。

かねてアイルランドは法律により全国の水道にフッ素の添加が義務づけられていることにかけては、世界で唯一という国家であるが、だからといって住民の歯が他のヨーロッパ諸国よりよいわけではないことは、これまでにも様々に報じられてきたとおりである。アイルランドで最も強硬にフッ素化に反対しているのは、歯の現場を預かっている心ある歯科医師たちであるが、同国で有力紙と目されるされるタイスム紙がこのような記事を掲載したことは、政府当局者にとっては、さぞ頭が痛いことであろう。

私情にわたって恐縮であるが、私はアイルランドが大好きであり、贔屓でもある。
アングロ・サクソン人が作り上げたイギリス文化は、何といっても大したものであり、その民族性の偉大さと、その文化の奥の深さには心から敬意を表するが、また同時に、私の心は、その偉大な国家に対して、民族の独立を叫んで数世紀反抗し続けたアイルランドの人たちに如何ともしがたい魅力と共感を覚えるのである。(ある書物によると、アイルランドを少女に譬えれば、イギリスは、これに凌辱の限りを尽くし、骨までしゃぶった悪辣非道な悪漢ということになる。)このように書くと、いかにも善玉悪玉史観のようになるが、もとより歴史は善玉悪玉でみるべきではない。私が司馬遼太郎の歴史小説に魅力を感じるゆえんである。

その司馬さんが、次のように書いているのは印象的である。「アイルランド人は、客観的には百敗の民である」。
あわれ、百敗の民。だが、この百敗の民の芸術が、そのゆえか、じつに表現しがたい魅力で私を撃つ。

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェインやモーリン・オハラが主演する映画は、少年から青年にかけての私がもっとも心を奪われた芸術であり、ウィリアム・B・イェーツの詩とともに、67歳の今日になっても思い出すだけでどこか心がうづくような思いがする。イニスフリーという湖の名前を聞いただけでも、何だか肌がぞくっとし、涙が滲んでくるような哀感にとらわれるのである。(ちなみに、反抗的な強い個性ゆえに、ひとつの秩序からはみ出さざるをえない人間を演じ続けてきた名優たちは、みなジョン・フォード監督とおなじアイルランド移民の子孫であり、時代は少し下るが、ダーティ・ハリーのクリント・イーストウッドも、この系列につらなる。)

司馬遼太郎の読者は、彼の作品に「愛蘭土(アイルランド)紀行」というまことに秀逸な旅行記があるのをご存じであろう。
蒙古語を専攻し、歴史作家として、ながねん日本の戦国時代や軍人を描くことに没頭しつづけた彼の頭のどこに、どうしてこんな卓抜なアイルランドへの理解がひそんでいたのか実に不思議としかいいようがないが、江戸の古地図や武鑑を渉猟し、日露戦争の戦跡を追体験することに情熱を燃やしていた彼は、また、ひそかに、ジョン・フォードの世界を愛していたのでもあるらしい。ひっそりと心に抱き、誰にも漏らさなかったそういう思いが、ある日、突然のように堰をきって、彼はアイルランドへの旅を思いたった。私にはそんなふうに思える。

音楽や英文学は全くわからない、と書いている彼の言は、そのまま受け取るわけにはゆかない。この紀行文に散見するアイルランド文学への言及は、じつにその本質を射抜いて読者を感動させ、音楽にかんする短い描写なども、まことに卓抜としかいいようがない。音楽そのものを述べずに、行間からアイルランドの音楽の哀愁を立ちのぼらせるところなど、驚嘆すべき作文技法である。

私には、そう思えてならないのであるが、この作品のモチーフは、

If you ever go across the seas to Ireland
Then maybe at the closing of your day
You will sit and watch the moonrise over Claddagh
And see the sun go down on Galway Bay

という詞で歌われる「静かなる男」のテーマ曲ともいえるGalway bayの旋律であり、

I will arise and go now, and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattle made:・・・

というイェーツの詩の一節だったのではないか。いや、そればかりか、私には、この紀行文の全編が、これらの哀切な基調で貫かれており、ひょっとすると、司馬氏は、「静かなる男」でジョン・フォード監督が描いたアイリッシュの人々に、西郷隆盛や、秋山真之に対する以上の共感を抱いていたのではないか、とすら感じられるのである。

ゴールウェイ湾は、大西洋にむかって鰐が口をあけたようにひらいている。

と司馬遼太郎は書いているが、これは明らかに

1872年のある日、岬を回ってゴールウェイ湾に入ってくる一隻の船があった。

という、ジョン・フォードの孫のダン・フォードが書いた「ジョン・フォード伝」の破題の一節と二重写しになっている。

アイルランド人は何世紀にもわたってイギリス人に圧迫され、西へ西へと逃げ続け、とうとう岩だらけの、ろくに土壌もない西部地方に暮らすようになった。そこで彼らは、海草を刈って岩の上に敷き、風の吹きだまりにわずか残った土を集めて土壌を作り、じゃがいもなどを植えて命をつないだ。その土は極めて貴重で、風に飛ばされないようにするためには畑の周囲を石垣で厳重に囲まなければならなかった。そのためには、明けても暮れても石を砕きこれを積む。その重労働は言語に絶する。しかも、過酷な運命はなお容赦がない。ある時期数年にわたってじゃがいもに疫病が蔓延し、深刻な不作になった。歴史上じゃがいも飢饉として知られている。彼らに残されたみちは、後は大西洋を超えて新世界のアメリカに亡命するだけであり、残った人たちは武器をとってイギリスに反抗することを始めた。その亡命の出口がゴールウェイ湾であり、 ジョン・フォードの祖父もそうやってアメリカに漂着した、とジョンの孫のダンは語っている。彼らの運命は哀切をきわめる。司馬氏はここに思いを寄せる・・・。

とつ追いつそんな考えに耽っていると、ふと、司馬遼太郎というやや大時代な筆名を選んだ福田定一という小説家は、じつは、シャイな人だったのだなということが思われた。夥しい彼の作品の中で、彼が己自身について語るのが極端に少ないという事実も、こんな所に根があったのではなかろうか。晩年、シラーに類する国父のような役割をふりあてられて、国民をリードするような発言をしばしばおこなったのは、彼にとっては案外不本意な成り行きだったのではないだろうか。

さて、そのアイルランドがである。
第二次世界大戦が熾烈化しつつある頃、アメリカのWASP(白人・アングロ・サクソン系・プロテスタント)の言い出した政策に尻尾をふって、全国の水道にフッ素を添加することを決定した。今から38年前の話である。たちまち、ある市民が、これを不当として訴訟をおこしたが、アメリカやイギリスは、一市民のこの発言に対して御用学者を大挙動員して、フッ素化危険論など根拠がないと論陣をはり、原告を圧殺した。フッ素の害にかんする具体的なデータが、当時は乏しかったのも、不幸だったといえる。

確かに、当時、フッ素化という言葉がもつイメージはたいしたもので、第二次世界大戦を勝利に導いたアメリカの最新科学には、世界中で誰一人として異議を唱えるものなどいなかった、という事実が背景にある。戦後創設されたWHOの勧奨に従ってヨーロッパ中の先進国がたちまちこの風潮にならった。
ただし、ここにも例外はある。フランスとイタリーである。この二国は、猛然と、もしくは隠然とアメリカの言説を反対あるいは無視し、フッ素化などおろかなことだと従わなかった。この時のフランスなど、今回のイラク攻撃での対応とまことによく似ている。(ドイツは小さな町でフッ素を添加する実験を十数年つづけ、危険が多いと判断して中止した。この時の報告書がじつに立派なのは、私はこれまでにしばしば触れてきた。

その後数十年たつうちに、フッ素化などという公衆衛生的施策は、フランスなどがいうように、歯の健康とは全くかけはなれたものでしかないことが明らかになり、ヨーロッパ各国は、各国自身の判断にもとづいて次々とフッ素化政策とは絶縁していった。ことにフランスとベルギーは、フッ素の入っているあらゆる食品や保健用品を禁じはじめるようにすらなってきた。
オランダなどはことに厳しく、憲法で水道にフッ素を添加することを禁じた。
アメリカと強固な連帯を組むイギリスにおいても、フッ素化は極めて評判が悪く、イングランドの一部の都市以外ではフッ素化を拒否する所が多く、人口でいって、約10%の住民がフッ素化された水道の供給をうけているのにすぎない。このイングランドこそ、WASPの母国であるのにである。

ところが、気が遠くなるくらいの長年月アングロ・サクソン人に痛めつけられたケルト人の国アイルランドだけは、依然として全国的なフッ素化を続けている。最初のうちは試薬レベルのフッ化ナトリウムが添加されていたが、アメリカに倣い、何時からか産業廃棄物であるフッ化珪酸が使用されるようになった。市民も、初めのうちはこのことには半信半疑でいたのであるが、調査してみると間違いがなく、このフッ化珪酸は、フッ素化を禁じているオランダやフィンランドから輸入していることがあきらかになった。

そこで何がおこりつつあるかと言えば、フッ素の害によるガン等の病気の多発であり、一部の医学者が、フッ素を絶対に拒否している北アイルランドと、さまざまな指数を使って病気の発生状態を比較調査しているが、その結果は惨憺たるものが明らかになりつつあるらしい。
そんなわけで市民運動がここでも起こり、第二党であるファイン・ゲール党までがフッ素化の中止を決議するようになったが、なかなか中止までにはいたらない。アメリカからの働きかけが相当に強いのであろう。何しろ、もと大統領であったケネディとレーガンもアイルランド系なのである。ここでもアイルランドは、いまだに凌辱され続けているといえなくもない。

ダンによると、一時期、ジョン・フォードは、自己のうちなるアイリッシュとアメリカンとのアイデンティティの矛盾にくるしみ、名声が確立した時ですら、激烈な反英闘争を続けている親戚をわざわざアイルランドに訪問して多額の援助をなし、イギリス政府から、「今度ここにやってきたらブタ箱にぶち込むぞ」と脅されて、はじめて自己がアイリッシュであることを確信して生きる自信を回復したという。
だが、ケネディやレーガンまでくると、こんな悩みなどは初めからもたず、自分が100パーセントアメリカ人であることに何の疑いももたずにいたのにちがいない。彼らには、彼らが世界に鼓吹しようとしている政策が、祖国であるアイルランドの人々をくるしめていようなどという想像力は、まず絶対に働かないのに違いない。レーガンが俳優という表現者としては、二流を抜け出られなかった理由は、こんなところにあったのかもしれない。

もとより,上記に述べたような疫学調査は膨大な予算と人手が必要であって、1、2の民間人の調査など、信頼性にかけるといって否定することは簡単である。それなら住民の不安を解消するために、政府の手で調査すればよさそうなものだが、そんな、自分の首を自分で締めるようなことを官僚がやるはずがない。そういうわけで、アイルランドでは、依然としてフッ素をめぐって騒然としている。

司馬氏によれば、アイリッシュの社会は、その気質上からか、いまだにビジネスがうまくゆかないのであるらしい。ビジネスがうまくゆかないということは、社会を運営するマインドが近代以前のレベルにあるということでもある。
本稿が触れている訳文の記事に即してみても、科学的に見ると、まことに不満足である。ここでは歯の病気の一つとして「腐食」(erosion)という言葉が使われて、虫歯 (decay)という言葉と区別されているのだが、これが斑状歯であるのか、虫歯であるのかはっきりとしない。記事の最後の一節の

歯の腐食は、歯の表面が非常になめらかに、またガラスのようにツヤツヤさせたままであるが、進行するにつれて歯は薄くなり、最後は欠けたり割れたりするのである。

というところなど、歯科医師としては理解にくるしむ。多発する歯の病気でこんな症状など見ることができないからである。斑状歯であっても虫歯であっても、折破するような状態にまでなれば、表面はガサガサになり、醜状見るにたえないようなものになるのが普通だからである。(ごく軽度の斑状歯は別である。しかし、こうした歯は別に折れやすいわけではない)。

司馬氏の紀行文には、地酒のビールを飲む場面がしきりに出てくる。これが、ミネラルウォーターではなくフッ素化された水道水でつくられているとすれば、旅行者はともかく、住民のフッ素摂取量はそれだけで相当な量にのぼるだろう。イギリスにおけるフッ素推進派の重鎮のある口腔衛生学者は、スコットランド移民の三世であったニュージーランドのジョン・コフーン博士との論争文の中で、「(イングランドの)フッ素化された水道水でつくられているビールはまことに美味で、毎日これを飲む幸福は何にも代えられない」とまで言ったが、何とでもいうがいいさ。
ちなみに、アイルランドとおなじケルト人の子孫が多く住むlスコットランドやウェールス、北アイルランドは、頑として政府の方針に異をたてており、いまだにフッ素化している自治体など1箇所もない。これを何とかして潰そうとしているのがブレァ政権であるが、フッ素化される前にブレァ氏の方が先に潰されるかもしれない。

丸山薫が謳った「日の照りながら雨のふるアイルランドの田舎」は是非たずねてみたいところだし、わけても「静かなる男」の舞台となったゴールウェイには行ってみたいものだが、その時は飲料水には十分注意するとしよう。

パリを旅行すると親切なパリっ子は、フッ素が入っていなくとも「パリでは水道は飲まない方がいいよ」と注意してくれるが、人見知りの強いアイルランドではけっしてそんな注意はしてくれないだろう。アイリッシュ・ウイスキーなども考えものである。尤も、パブなどで面とむかってそんな事をいえば、たちまち喧嘩をふっかけられるかもしれない。アイリッシュ得意のぶん殴り合いは、映画の中だけで楽しむことにしたい。



このエッセイを書くにあたり、次の本を参考にしました。

司馬遼太郎著・愛蘭土紀行T、U。朝日文庫・第1刷・1993年7月・朝日新聞社
ダン・フォード著(高橋千尋訳)・ジョン・フォード伝・文芸春秋・第1刷・1987年

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