偉大なる市民 ジョン・イアムイアニス博士を悼む
         Tribute to John Yiamouyiannis

                          村上 徹

    
(フッ素研究第19号1頁・2000年12月 初出)

Translated into English in" FLUORIDE" (Journal of the International Society for Fluoride Research) Vol.34, No.2, pp.157-158 .May 2001



 John Yiamouyiannis (1943-2000),

 生化学者ジョン・イアムイアニス博士が逝去された。
2000年10月8日(現地時間)、オハイオの自宅でご家族に囲まれ、眠るように静かに逝かれたという。
 博士は1990年に日本フッ素研究会の招請に応じて来日され、第11回大会において特別講演をされるなど、我々とは浅からぬご縁があった。ご遺族に対し心から哀悼の意を表するとともに、ここに謹んで追悼の一文を奉呈する。

 博士は1963年にシカゴ大学を卒業されて理学士(生化学)となられ、次いで1967年にロードアイランド大学より博士の学位を受領された。その後ウェスタン・リザーブ大学医学部で研究生活をおくったのち、世界最大の化学データバンク、ケミカル・アブストラクツ・サービスで生化学部門の担当者になった。そこでつぶさにフッ素の毒性に関する研究文献に接するうちに、虫歯予防のためと称して水道水に添加するフッ素の毒性がひととおりのものでない事を知り、この知識にもとづく啓蒙的な言動がたたって合衆国公衆衛生局傘下の国立歯学研究所の情報管理官より迫害を受け、辞職に追い込まれた。

 こんな受難者はひとり博士はかりりではない。フッ素化運動の初期にはI・ラパポートやJ・ウオルドボット両博士の例があるのは周知のとおりであり、新世紀となった現代ですら、P・マゥレニクス博士やW・マーカス博士の例があるのは、本誌に掲載の論文「フッ素を憂慮する」で、P・コネット教授が「吐き気を催すやり方」として論難しているとおりである。しかし、博士は、泣き寝入りをするような道は選ばず、敢然とこれらの腐敗勢力と闘う道を選択された。その詳細は彼のベストセラー"Fluoride The Aging Factor"に述べられている。
  博士の不屈の闘志は全世界の反フッ素の活動家から「英雄」とまで称賛され、博士の批判の対象となったアメリカやイギリス歯科医師会はもとより、CDCのような政府機関からも「イアムイアニスはあらゆる文献に精通しており」「彼に対抗するのはとても無理だ」というような声がひそひそとささやかれたゆえんである。

 博士がアメリカ社会に衝撃を与えた業績の一つに、国立ガンセンターの創立研究者でありかつまた主任生化学者でもあったディーン・バーグ博士と共同の「フッ素化都市におけるガン死亡率の上昇」という一連の疫学研究がある。この研究は、これを否定する一派との議会公聴会(1977)での対決のあと全米各地で4件の裁判となって継承し、長期間の審議のすえ、その3例で「飲料水のフッ素化は健康被害をひき起こす」という判決となって結実した。それでも、この判断はあくまで司法の判断であり、行政の判断ではないためにフッ素化が中止できない。これがアメリカの三権分立というものである。その23年後の本年(2000)6月に、再度議会でフッ素の健康被害に関する公聴会が開催され、今度は米環境保護庁のW・ハーッイ博士が、当時の判決やその後の科学的事実の進展を踏まえてさらに厳しい証言を行っているのは、この判断をあくまで当局に迫るためである。
 この結果を見ずして逝くのは故人にはさぞ心残りであったであろう。
しかし、イアムイアニス博士よ。偉大なる市民よ。もう、時は過ぎた。今はただ、安らかにお鎮まりあれ。あなたが吹き鳴らした警笛は、じつに、多くの人々の心を捉えた。
 すでにあなたの魂は遠く父祖の地ギリシアの天空に飛翔して、そこで古代の賢人らと、フッ素化などという愚策を思いつく二十世紀の人間について、哲学的対話でも交わしておられるのであろう。
あなたの人生は本当に立派であった。

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