『planetarian』小論―ロボットという「作品」―

初出:GD# Vol.25(2006年11月12日 第5回文学フリマにて初売り)

『planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜』は、涼元悠一氏が企画・シナリオを担当した作品であるが、Tactics/Keyブランドとして他の作品が有するものと同様の、顕著な特徴がみられる。第1には、「天国をふたつに分けないでください」という、ロボットである「ほしのゆめみ」による言葉によって「ふたつの世界」への意識化が行われていることである。この点においては、『ONE』や『CLANNAD』のように、明確にふたつの世界の描写が行われているものではないが、意識化のレベルとして、人とロボットの天国というふたつの分かたれた世界の対立構造を示している。そして、それらがいつかひとつに融合することを夢み、そこに至上の幸福があると位置づけている。この点において、『CLANNAD』のように「幻想世界」と生活世界(*1)との融合を求める方向性を持つ作品とほぼ同様のものと考えて良いだろう。このことは、彼女が破壊された直後のシーンで、屑屋がゆめみの置かれた状況を「彼女を修理できる技術者も、彼女の望む新しい筐体も、彼女を必要とする人間さえ…/この世界から消えてなくなってひさしいことを。」という言葉で表していることが、前作『CLANNAD』におけるふたつの世界を繋ぐ渚の言葉

【渚】「世界にたったひとり残された女の子のお話です」

【渚】「それはとてもとても悲しい…」
【渚】「冬の日の、幻想物語なんです」

で表された「幻想世界」における少女の姿をゆめみが引き写しているように読むことができる点でも共通している。さらに、ゆめみの死と言えるシーンにかかる「全き人」(*2)の曲調が、『CLANNAD』における「幻想世界」の曲調と重ね合わせられることからも、このような悲しみを通過することによって希望へ転化していくという点において、両作品から共通したものが窺えるであろう。また、エンディングで雨が雪に変わることについて、雨を核爆発後の「黒い雨」に表されるような汚れと捉えれば、雪への変化は、文明は埋もれていくが世界自身は浄化が始まったと理解できるのではないだろうか。そう考えれば、畳まれたコートとその上に載せられたがらくたの花束に雪化粧という絵の挿入により、ゆめみの思いが人に届いたことでわずかに世界が変化したと考えることも可能であろう。

第2には、ラストシーンにおいてゆめみから屑屋に受け継がれるメモリカードに関する描写から特徴を窺うことができる。この点で、メモリカードという記録(=記憶)に基づく連続性によって、生が受け継がれていくという点で明確に意識化がなされていることが分かる。この記憶の継承は、ロボットであるゆめみの過去である記憶をもとに、遺志を受けた屑屋が星を見せることを今後の仕事にすることで引き継がれていく。ここでの描写でさらに特徴的な点は、記憶に基づく生の継承といっても、ゆめみの見せてくれた過去の映像(=記憶)は、この世界では2度と読み出されたり再生されたりすることがないという悲哀を有した背景にある。これは、ゆめみの記憶が他の筐体に移し替えられて再び活動を行ったり、修理したりする者がいないという作中の描写と同様に、生の一回性とともに経験の一回性を担保することで、かけがえのなさを強調することとなっている(この点においてロボットの優位性は失われ、人と変わらないひとたびの生しか持たない存在として立ち現れる)。そして、このことを受け継いだのは世界にただひとり、この屑屋だけである。この点は、『AIR』において翼人の少女に対する追求が細い道筋で受け継がれながら1000年の時を経てきたことを想起しうる点(断片を線として想起するのはあくまでプレイヤの作業によるもの)と共通し、危うさと儚さ、それでも続く弱さの中に存在する意志(*3)を感じ取ることができる。

これらの特徴に加え、本作では視点人物である屑屋とゆめみが1対1で対峙することとなる。この図式は、先述のとおり、人とロボットの代表選手同士があいまみえることである。その中でのふたり(*4)のやりとりは、前半はゆめみの機能的制約によりちぐはぐで噛み合わない点が前面にあらわれている。しかし、中盤以降はこのような制約や限定が一途さや真摯さに転化されている。このことは、読者を含めた人間に対して、ゆめみが人間的な心情を強く喚起させる存在として逆説的に浮上してくる。同様の感情は、ヒロインがロボットであるという過去の様々な恋愛ゲーム作品においても同様な描写があり、そこで読者(*5)が受ける印象と同様である(*6)。しかし、職務を全うしようとするゆめみの行動から我々が受け取ったことは、人ならざる存在であるはずのものから、人としてあるべき生き方を学んだ(*7)という強烈な逆説である。たとえ全てがプログラムされていたものであっても、ひとつのことを徹底して信じ、行為を貫徹しようとするその態度や言動の表出そのものに触れることで、人は大きく影響されてしまう。これは、過去に屑屋と共に行動し「だがな、封印都市でいちばんやっかいなのは、ロボットに会っちまった時だ」と言いつつ「人らしさ」が災いして死んでいった、仲間の年老いた屑屋がロボットに会った際にも感じていたことだろう。しかし、世界を滅ぼす程の戦争後に生きる人間のうち、このような人間的な心をこの屑屋のみが知ったという構成は、『MOON.』において少年が郁未に賭けた君を最後の生贄にしたいという思いや、『Kanon』において「ものみの丘」の狐たちのことが祐一と天野のみに限り知られていること、『AIR』における綱渡り的状況の中で思いを受け継いできた状況や観鈴や往人らの不器用な生き方などを鑑み、Tactics/Key作品に共通した特徴を有していると言えよう。

さらに、ロボットはもともと人の手によってつくられたものである。つくられた偽の存在から真なる存在であるはずの人間が感化されたという状況には、「嘘から出た誠」という感覚が当てはまるであろう。このような感覚は、ちょうど「事実は小説よりも奇なり」とは逆をゆく発想であるが、ロボットを人のつくりし「作品」と捉え、「ロボット」という言葉を「作品」と置き換えて考慮することによって見えてくるものがあるだろう。ちょうどこの作品は「キネティックノベル」と銘打たれて発売されたこともあって、小説に類する作品として作者が意識していることからも、上記の置換が可能であろう。これらの点から、ゆめみから感化を受けた屑屋という視点人物の受けた影響は、小説から感化を受けた読者という位置づけと同じ位置にあると考えられる。このような構造を念頭に置いて冒頭の「天国をふたつに分けないでください」という言葉に立ち返ってみるならば、そのことは、「作品(世界)と人間(世界)をふたつに分けないでください」という願いとすることができる。このような読みは、本作品の想定される作者像を前面に押し出すこととなってしまうが、作品とはいつも人のそばにあり、人を支援し続ける存在であってほしいという作者の願望が浸出していると受け取ることができるだろう。

このように読んでいけば、言葉によって構成された作品に対する信、さらには言葉そのものに対する信が、本作品中に貫かれていることになる。この言葉の伝達に対する意志については、本作品自体から離れてしまうが、パッケージ版初回特典小説の「チルシスとアマント」及び「エピローグ」においてより明確に示されている。チルシスとアマントのふたりが人の遺した言葉を学ぶことで「僕らは言葉そのもの」「言葉は伝えるためにあるんだ」と言うことや、アマント自身が「言葉の連なり」となっていくこと、伝達の表徴としての「船」の登場などにより、言葉に対する意識と言葉の伝達に対する意志を前面に押し出した表現が示されていることも、上記の言葉に対する信が裏打ちされているといえるであろう。また、同小説の「雪圏球(スノーグローブ)」にみる人の忘却とロボットの記憶の維持(*8)ならびに「秘密の約束」という言葉に対する、ロボットの意識せざる意識化として「重要命令として登録」するような約束の重み付けを行う点にも言葉に対する意識が表れている。このことは、ロボット3原則の遵守としてゆめみに現れる行動としての「もっと古い、約束ごとがあるものですから」ということにも共通し、「約束…だよ」の言葉が特徴的な『Kanon』との近似を見いだすこともできる。 上記のような点から、言葉や伝達に対する信を背景に有した本作品は、その伝達がぎりぎりのバトンパスとも言える構成を有する特徴(*9)をもって、Tactics/Key作品群の嫡流といえる作品と結論づけることができるだろう。

(注)

(*1) 主人公やヒロインたちが学園生活を送る世界を指す。

(*2) ゆめみを守ってやれなかった、と自責に駆られる屑屋と重なるシーンに流れるこの曲につけられたタイトルとしては相当逆説的である。

(*3) 弱さの中にある強さと捉えることができ、Tactics/Key作品によく表れる強さの特徴を表す。

(*4) 本来、ゆめみはロボットであり、人ではないが、ここでは敢えて「ふたり」と言うこととする。

(*5) ゲームであるか否かの検討はここでは行わないこととするが、本作は「キネティックノベル」であるため、読み物とすれば「読者」という表現が当てはまるだろう。イベント表現、文字表現等のインタラクティブ性の観点からは他のTactics/Key作品同様の性質を有し、プレイと捉え、プレイヤと表記することもまた可能ではないかと考える。

(*6) 例として挙げるとすると『To Heart』のマルチが当てはまる。このシナリオにおいても、ゆめみと同様に、不器用さが人間味を表すことに転化する表現がなされていた。

(*7) または、人の思いを受け取った、と捉えることも可能である。このとき、ロボット制作者がプログラムとして託した思いと捉えるのではなく、ゆめみ自身の思いと捉えるべきであることは、言うまでもあるまい。

(*8) これは「私はロボットですから、覚えておくのは得意なんです」というゆめみの言葉で何度も作品中に現出している。

(*9) 「私的『AIR』論 恋愛ゲームを遠く離れて」を参照。


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