七瀬留美小論

初出:Tactics/Keyゲーム評論集『永遠の現在』(2007年8月19日 コミックマーケット72)、2007年7月7日脱稿

七瀬は長森が意図していたような女の子。
謀られたかのような運命の出会い。お約束としての激突。そして対立。形式をなぞる。
長森は浩平の癖を教えるなど、陰からの支援。七瀬と長森も仲がよい。
空恐ろしきプリンセスメーカーとしての長森。
そして長森こそは永遠の世界へフェードアウト。

「ほんとにこんな奴があたしの王子様なの?」……という七瀬の認識。
しかし、その出逢いの強烈さだけが関係を定義づける。ある意味、質は問われない。
イヤな奴と思っても、エキセントリックな言動でも、いつの間にか一緒になっている。
しかし、性欲のはけ口として七瀬を扱うと所謂永遠の世界に取り込まれる。
大切にしつづけないと、所謂「絆」は切れてしまう。
ここでは、一瞬の達成だけでは関係の構築は成立せず、持続の必要性を訴える。『MOON.』のELPODに通じる倫理的規制。
「大切な長森は、簡単に抱いてしまってはいけない。」とは表現は異なるが、言いたいことは同じ。
しかしそうすると七瀬は汚れ役。不憫である。しかし逆に扱いやすいのかもしれない。

女の子として生きろ、という指南に従って、「型」を生きようとする七瀬。
だが実質は型からはみ出す。むしろ、はみ出したところにこそ実質(本性?)があらわれる。
対して、はみ出しっぱなしの浩平は、逆に「恋愛」という型をなぞることで恋人という関係をようやく認識していく。

相互の関係は、「恋愛」という型をなぞろうとも、実はすれ違っている。
すれ違いこそが実質とでもいわんばかりの状況。
キムチラーメンもすれ違い故の悲喜劇。だって浩平は恋なんて知らなかったのだから。

朝起こしに来ることの試行錯誤も、恋人の「型」をなぞる。
前任の長森を越えようとする、越えなければ恋人になれないと自らにハードルを課す七瀬。恋とは越えるべきハードルを越えた地点にある、というのはこれもまた倫理的規制のひとつ。

無理矢理恋人らしい型の完成を試みる、ダンスの待ち合わせもすれ違い。浩平は消え、七瀬は1年待ち続ける。七瀬の「あたしのこの一年は、なんにもだった…」時期は、七瀬にとって浩平にとらわれ続けた「永遠」。
ドレスを着て待ち続けることをやめる決心をし、「あたしは、ついに一歩を歩み出す」瞬間に、逆に浩平は現れる。七瀬にとっての「永遠」である待ち続けることから、彼女が脱したことと歩みを合わせるかのような浩平の帰還。
七瀬が諦め、「昔の」浩平と向かい合い続けようという意志が消え去った瞬間に「今の」浩平が現れる。ここでも、二人の間の実質は「ずれ」そのものであることを提示。
しかし、七瀬にとっていつもサプライズの元凶である浩平は、七瀬がそのまっすぐな思いを諦めた瞬間に現れ、同じ物語に乗ることを強要する。それにまたまっすぐ付き合う七瀬。バカふたり。
この点は、ふたりが共に囚われかけた永遠から脱するという点で逆に強いシンクロ。

そして、ふたりは再び一緒にダンスをするべく、型破りな服装で、自転車を使ってダンスホールへ。そこでもダンスという型をなぞることにより、一緒でいようとする。
この型をなぞることは「とんでもなく恥ずかしい二人だったけれど、楽しいことが待っているときは、そういうものなんだ」と、周囲を委細構うことはない。
型にはまる(はめる)こと、型からはみ出すこと、それは常に自分たちの意志と、そして周囲を意に介さない無意識とによる。

これと同様に、椎名には、浩平が必要でなくなったにもかかわらず「おかえり、みまもってくれるひと。」として再現する。ここでも、七瀬と同様のズレが存在する。
そして、「ずっとみまもってくれるひと。」というのは『MOON.』郁未の母的な位置。

七瀬も椎名も長森も、全てはズレと違和と共にありながら、それでも結びつくふたりの物語。


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